「アルベール・ルブラン」の版間の差分
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1871年8月29日[[ムルト=エ=モゼル県]]、メルシー=ル=オートの農家に生まれる。[[エコール・ポリテクニーク]]、[[パリ国立高等鉱業学校]]をそれぞれ優秀な成績で卒業する。その後、[[ヴズール]]と[[ナンシー]]で鉱山技師として働く。しかし、政治への関心が抑えきれず、1900年29歳の時に鉱山技師を辞し、総選挙に共和左派から立候補し当選する。1912年[[フランス海外省|植民相]]。1913年[[国防省 (フランス)|陸相]]兼自由県担当相。1917年に民主同盟結成に加わり、1920年[[ムルト=エ=モゼル県]]から国会議員に選出される。1925年から1929年まで[[元老院]](上院)副議長を経て、1931年元老院議長に選出された。
1932年、
1944年8月9日[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の攻勢でフランスが解放されると、ルブランも解放された。[[シャルル・ド・ゴール]]と会見し、大統領を正式に辞した。以後、政界を引退し、[[パリ]]に隠棲した。1950年3月6日パリで肺炎のため死去。
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* [http://perso.orange.fr/freysselinard/Albert%20Lebrun.htm Biographie plus complète et petite exposition virtuelle sur Albert Lebrun]
{{先代次代|{{FRA1870}}[[フランスの大統領|大統領]]|[[1932年]] - [[1940年]]<br />正式な辞任は1944年|
{{フランスの大統領}}
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