「青葉 (重巡洋艦)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
アジア歴史資料センタ―史料追加、進水前後について追記。参考文献1冊追加、サボ島沖海戦・カビエン被弾について補足
73行目:
{{main|第一次ソロモン海戦}}
 
8月8日-9日、'''第一次ソロモン海戦'''に参加。魚雷発射管への被弾で小火災が発生するが、大事には至らなかった<ref>[[#戦史叢書南東方面海軍作戦(1)]]482頁</ref>。8月9日午前8時、「鳥海、天龍、夕張、夕凪」が分離してラバウルとショートランド泊地へ向かい、六戦隊の重巡4隻はカビエンへ向かった<ref>[[#戦史叢書南東方面海軍作戦(1)]]493頁</ref>。10日午前7時15分、「青葉」の後方800mを航行していた「[[加古 (重巡洋艦)|加古]]」は米潜水艦「S-44」の雷撃を受けて撃沈された。青葉水上偵察機1機が戦隊前路を警戒していたが、「S-44」を阻止できなかった。また六戦隊も[[之字運動]]を実施しておらず、乗組員の疲労も頂点に達していたという事情もある<ref>[[#戦史叢書南東方面海軍作戦(1)]]494頁</ref>。第六戦隊は「青葉、古鷹、衣笠」の3隻編制となった。
8月24-25日、第六戦隊は[[第二次ソロモン海戦]]に際し増援部隊輸送船団(指揮官/[[第二水雷戦隊]]司令官[[田中頼三]]少将:旗艦「[[神通 (軽巡洋艦)|神通]]」)支援のために出動した。だが戦局には全く関与しなかった。「衣笠」は「鳥海、[[磯風 (陽炎型駆逐艦)|磯風]]、夕凪」等と行動し、「青葉、古鷹」のみ輸送船団附近で行動した。