「ドメニコ・モンタニャーナ」の版間の差分
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== 生涯 ==
モンタニャーナは1686年にイタリアの[[ヴェネト州]][[レンディナーラ]](Lendinara)で生まれた<ref>Universal Dictionary of Violin & Bow Makers 1973年</ref>。モンタニャーナは[[ベネチア]]のマエストロ Sellas の弦楽器工房に弟子入りした<ref>出典によって、アマティの弟子であった、ゴフリラーの弟子であったなど様々な説がある</REF>
モンタニャーナには3人の娘がいたが、そのうちの1人アンドニア・モンタニャーナと結婚することを条件に工房を継承したのが、ジョルジオ·セラフィン(Giorgio Serafin)である。ジョルジオ·セラフィンは著名な弦楽器製作者でもあるサンクトゥス・セラフィン(Sanctus Seraphin;サント・セラフィン)の甥でもあり弟子でもあったが、サンクトゥス・セラフィンが1744年に工房を閉じたときに、ジョルジオ·セラフィンは伯父の工房を継承しなかった(しばらくの間は運営したとする資料もある)。モンタニャーナの工房を継承したジョルジオ·セラフィンは主に楽器の修理やメンテナンスに多くの時間を費やしたようで、作成された弦楽器の数は少ない。ジョルジオ·セラフィンの楽器には、サンクトゥス・セラフィンの影響が認められ、モンタニャーナの影響は認められず、特徴的な幅広のチェロも継承されなかった。
レンディナーラではモンタニャーナにちなんで、彼の作成した楽器だけで演奏されるコンサートが毎年開催されている。
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