「ドメニコ・モンタニャーナ」の版間の差分

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== 生涯 ==
モンタニャーナは1686年にイタリアの[[ヴェネト州]][[レンディナーラ]](Lendinara)で生まれた<ref>Universal Dictionary of Violin & Bow Makers 1973年</ref>。モンタニャーナは[[ベネチア]]のマエストロ Sellas の弦楽器工房に弟子入りした<ref>出典によって、アマティの弟子であった、ゴフリラーの弟子であったなど様々な説がある</REF>。同じ工房でCarlo Tononiも働いていた。1712年、モンタニャーナはベネチアのCalle degli Stagneriに「Alla Cremona」という自分の工房をオープンした。 Sellasの工房では、モンタニャーナが独立した後に、Carlo Annibale Tononi(1675–1730年)やピエトロ・ジョヴァンニ・グァルネリ (Pietro Giovanni Guarneri、1655-1720年)も働いた<ref>Carlo Annibale Tononiは、父親のJohannes Tononiが所有するポローニャの工房で働いていたが、父親が1713年に死去すると、ヴェネチアに移動してSellasの工房で働き始めた。</ref>。モンタニャーナは[[ヴァイオリン]]と[[ヴィオラ]]、[[チェロ]]、[[コントラバス]]を作成した。モンタニャーナが楽器を制作した時期はアントニオ・ストラディバリが活動していた時期と同じ頃である。モンタニャーナは1750年にベネチアで死去した。モンタニャーナには3人の娘がいたが、そのうちの1人アンドニア・モンタニャーナと結婚することを条件に工房を継承したのが、
 
モンタニャーナには3人の娘がいたが、そのうちの1人アンドニア・モンタニャーナと結婚することを条件に工房を継承したのが、ジョルジオ·セラフィン(Giorgio Serafin)である。ジョルジオ·セラフィンは著名な弦楽器製作者でもあるサンクトゥス・セラフィン(Sanctus Seraphin;サント・セラフィン)の甥でもあり弟子でもあったが、サンクトゥス・セラフィンが1744年に工房を閉じたときに、ジョルジオ·セラフィンは伯父の工房を継承しなかった(しばらくの間は運営したとする資料もある)。モンタニャーナの工房を継承したジョルジオ·セラフィンは主に楽器の修理やメンテナンスに多くの時間を費やしたようで、作成された弦楽器の数は少ない。ジョルジオ·セラフィンの楽器には、サンクトゥス・セラフィンの影響が認められ、モンタニャーナの影響は認められず、特徴的な幅広のチェロも継承されなかった。
 
レンディナーラではモンタニャーナにちなんで、彼の作成した楽器だけで演奏されるコンサートが毎年開催されている。