「櫛橋光」の版間の差分

加藤吉松は黒田姓を称していません。(「御追号集」『新修 福岡市史 資料編 近世1』2011年 参照)
(加藤吉松は黒田姓を称していません。(「御追号集」『新修 福岡市史 資料編 近世1』2011年 参照))
櫛橋光の子は、夫・孝高との間に生まれた黒田長政(長男、1568年(永禄11年)生誕)と黒田熊之助(次男、1582年(天正10年)生誕)のみであった。長政の誕生後、しばらく子が生まれなかったが、夫・孝高は側室を持つことはなかった。そのようななかで、[[有岡城の戦い]]に際に夫・孝高が敵方へ裏切ったとの疑いから、織田信長の命で長政(幼名:松寿丸)は処刑されそうになり、一時は跡取りを失う危機に陥ったが、[[竹中重治]]に匿われたことにより回避された。
 
まもなくして、二番目の子となる熊之助(くまのすけ)が誕生。熊之助も順調に成長したが、慶長2年([[1597年]])、[[文禄・慶長の役]]に参加していた父・孝高や兄・長政を見舞うために、母里吉太夫(母里友信の嫡男)・黒田加藤吉松([[黒田一成]]の弟)・[[木山紹宅]]を従え[[朝鮮半島]]を目指していた途中、暴風に遭って船が沈没し死去した(享年16)。
 
そのため、長政の子孫のみが光の子孫となる(詳しくは[[黒田長政#子孫]]を参照のこと)。
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