「ナツメグ」の版間の差分

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メース節を追加、特徴、歴史節に追記
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== 特徴 ==
[[東インド諸島]]、[[モルッカ諸島]]が原産とされる。 多くは[[雌雄同体|雌雄異株]]で、樹高は10〜20mに達する。幹の樹皮は灰褐色でなめらかな表面を持ち、葉は長さ8~15センチで表側が濃緑、裏が淡い緑の単葉である。 播種後7年以降に結実しだす、成長の遅い植物である。
長さ約5センチの[[アンズ]]に似た卵形の黄色い[[果実]]をつける。果実は成熟すると[[果皮]]が割れ、網目状の赤い[[仮種皮]]につつまれた暗褐色の種子が現れる。 この仮種皮を乾燥させたものが香辛料の1つ、[[#メース|メース]]である。果肉は火を通せば食べられる。
 
メースを除いた種子を2~3ヶ月の間天日で乾燥させると、中の仁が分離して中で動くようになるので、種を割り仁を取り出す。仁は長径2.5センチほどの卵型で、灰褐色ですべすべしていて縦に溝がある。この仁を出荷前に石灰もしくは石灰液に3か月浸してから乾燥させたものを香辛料のナツメグとする。種子全体を直接、[[おろし器|おろし金]]で挽いて用いる場合もある。
 
石灰に浸す工程は[[オランダ東インド会社]]時代に、ナツメグが出荷前までに発芽しないようにという意図から始められたものだが、科学的には意味のない慣習となっている。現在では、輸入側の国がこの工程を省略させる場合もある{{sfn|ギュイヨ |1987|pp=97-98}}。
 
種子全体または種子の仁を取り出し、石灰液に浸してから乾燥させ、粉砕したものを香辛料のナツメグとする。種子を直接、[[おろし器|おろし金]]で挽いて用いる場合もある。種子は肉荳蔲という生薬名で、[[収れん作用|収斂]]、[[止瀉薬|止瀉]]、健胃作用がある。
香りの主体となる成分は[[ピネン]]、[[カンフェン]]、[[オイゲノール]]、[[ミリスチシン]](Allyl -3,4,5-trihydroxybenzene-methylene-methyl ether)である。
 
==メース==
メース([[英語|英]]:mace)はナツメグの果実の果肉と種の間に、種を包む形に取り巻いている仮種皮を天日で乾燥させた香辛料である。収穫時は深い紅色だが、乾燥させると黄褐色に変化する。ナツメグと似た淡い香りでピリッとした辛味と苦味がある。[[ドイツ語]]や[[イタリア語]]などでは「ニクズクの花」(独:Muskatenblume、伊:fiore di moscata)と呼ばれているが、花ではない。
 
== 歴史 ==
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ナツメグが記録に現れ始めるのは10世紀頃の事で、地理学者[[マスウーディー]]によってマレー諸島東部の産品として報告され、11世紀初め頃にはペルシアの知識人[[イブン・スィーナー]]によって医学的な考察がなされている。
ヨーロッパで記録に現れ始めるのは12世紀末頃からだが、当時はナツメグよりメースの需要の方が高く、イギリスではメース約500グラムに羊3頭分の価値があった。
 
モルッカ諸島の貿易権を最初に握ったのは[[ポルトガル]]人で、16世紀を通じてナツメグ取引きの中心はリスボンだった。次いで[[オランダ]]がその支配権を奪い、17世紀からはオランダがナツメグを独占した。オランダは独占維持のために、[[ニッケイ]]や[[チョウジ]]と同様に管理下以外の島々の木を切り倒して回る徹底した制限政策をとった。1768年、[[フランス]]の植民総督[[ポワール]]は密かにナツメグの苗を[[フランス領フランス島 (モーリシャス)|モーリシャス諸島]]に移植した。18世紀末~19世紀初頭にモルッカ諸島の支配権が[[イギリス]]に移った時、マレー半島への移植が試みられたが、結果的に失敗に終わった。1816年にオランダに支配権が戻り制限政策が1862年まで続けられた。ナツメグの栽培が自由化されたのは1864年の事である。
 
== 利用 ==
独特の甘い芳香があり、[[ハンバーグ]]や[[ミートローフ]]などの挽き肉料理や魚料理の臭みを消すために用いられることが多い。また[[ビスケット|クッキー]]や[[ケーキ]]などの焼き[[菓子]]にも用いられる。
 
種子は肉荳蔲という生薬名で、[[収れん作用|収斂]]、[[止瀉薬|止瀉]]、健胃作用がある。[[東洋医学]]では、気管支炎、リウマチ、胃腸炎などの薬として処方される。
 
== 精神作用と毒性 ==