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デビュー戦は2歳の6月に出走したトレモントステークスで、ここを6着に敗退した。以後も惨敗続きで、[[フューチュリティステークス (アメリカ合衆国)|フューチュリティステークス]]で2着に入ったのが唯一の好走であり、それ以外はすべて[[着差 (競馬)|大差]]で負けるという芳しくないものであった。
 
しかし、翌年サーバートンは[[ケンタッキーダービー]]に出走し2番人気に推された。もっとも、これは僚馬ビリーケリーが注目されていたからであり(欧米では馬主単位で[[投票券 (公営競技)|馬券]]が発行されるため、ビリーケリーとサーバートンで1つの馬券になる)、サーバートンはビリーケリーの[[ペースメーカー (競馬)|ペースメーカー]]に過ぎなかった。だが、結果はサーバートンがビリーケリーを5馬身差突き放し圧勝してしまった。ケンタッキーダービーがサーバートンの初勝利である。そして4日後に[[プリークネスステークス]]を4馬身差で連勝、さらに[[ベルモントステークス]]にも5馬身差で楽勝、史上初の現アメリカ三冠を達成した(ただしこのころのアメリカは三冠体系が整っていなかったため、サーバートンが三冠馬と呼ばれるようになったのはもっと後になってからである)。この年米年度代表馬に選出されている。
 
サーバートンは4歳になっても活躍し、サラトガハンデキャップではレコードで[[エクスターミネーター]]を破っている。だが、ケニルワースパークゴールドカップ([[マンノウォー]]との[[マッチレース]])でマンノウォーの前に敗れてしまった。このため現在サーバートンが最強馬と呼ばれることは皆無である。レースはマンノウォーが先行し、その1馬身後方をサーバートンが追いかける展開、だがその差は縮まることはなくマンノウォーが7馬身差でゴールした。サーバートンにとっては完敗であった。