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{{by|2000年}}に[[中日ドラゴンズ]]に入団。同年4月7日の対[[横浜ベイスターズ]]戦で[[ノーヒットノーラン]]を達成。長身から投げ下ろす150km/h前後の速球と、速球と同じ球速で落ちる[[フォークボール|SFF]]などの多彩な変化球を武器に、同年に14勝で[[最多勝利|最多勝]]のタイトルを獲得した。陽気な性格で[[名古屋弁]]を話し、チームメイトからも親しまれた。また打撃も良く、公式戦で[[福岡ドーム]]で初めてホームランを打った投手でもある。
 
{{by|2002年}}のシーズン途中、先発予定日に[[ナゴヤドーム]]に向かう途中で体調不良を訴え登板を回避。心臓疾患のため[[不整脈]]と診断され、そのまま帰国、退団し野球選手なっしても現役引退し<ref>{{Cite |和書|author=足木敏郎 |title=ドラゴンズ裏方人生57年 |page=268-269}}[</ref>
 
{{by|2003年}}、[[星野仙一]]が監督として率いる[[阪神タイガース]]に復帰するのではないかと報じられたが、実現しなかった<ref>[http://osaka-nikkan.com/lib/otr03/p-otr-030520-01.html 星野阪神Vの使者 新外国人に前中日バンチ急浮上]</ref>。
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