「イタリア社会党」の版間の差分

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== 概要 ==
[[1892年]]に、労働者運動の広がりを受けて[[フィリッポ・トゥラーティ]]を中心に[[社会主義]]政党として'''イタリア労働者党'''(伊:'''Partito dei Laboratori Italiana''')が結成された。その後[[1895年]]には'''イタリア社会党'''に改称。左翼勢力の中心として大きな勢力を持ち、かの[[ベニート・ムッソリーニ]]もかつて社会党員だっ機関紙「アヴァンティ!」の編集長を務めていた。[[1919年]]から[[1924年]]まで[[コミンテルン]]に加盟していたが、[[イタリア共産党]]の創設や社会党の分裂から離脱する。
 
[[第二次世界大戦]]後は、長らく[[キリスト教民主主義 (イタリア 1942-1994)|キリスト教民主主義]]、[[イタリア民主社会党|民主社会党]]、[[共和党 (イタリア)|共和党]]と[[中道左派]][[連立政権]]を組み、1980年代には同党の[[ベッティーノ・クラクシ]]が首相となり戦後イタリア史上最長の内閣となるなどで政権の中枢になったが、1990年代に汚職事件捜査の対象となり、クラクシは[[チュニジア]]へ亡命(同地で客死)。