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[[ファイル:Dante_Gabriel_Rossetti_-_Beata_Beatrix,_1864-1870.jpg|thumb|200px|right|ベアタ・ベアトリクス 1863頃 テート・ギャラリー(ロンドン)蔵]]
 
'''ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ'''('''Dante Gabriel Rossetti''', [[1828年]][[5月12日]]-[[1882年]][[4月10日]])は、[[19世紀]]の[[イギリス]]の[[画家]]・詩人。[[ラファエル前派]]の一員に数えられる。詩人[[クリスティーナ・ロセッティ]]の兄。姉のマリアと弟のウィリアムも著述家である<ref name="Treuherz15">Treuherz et al. (2003), pp. 15–18</ref>。医師・作家であるジョン・ポリドリは叔父にあたる。日本では[[明治時代]]に[[島崎藤村]]、[[蒲原有明]]らにより詩が紹介されたが、今日では詩人としてよりも画家として知られている。英国では現在も詩人としても著名である。
 
日本では[[明治時代]]に[[島崎藤村]]、[[蒲原有明]]らにより詩が紹介されたが、今日では詩よりも絵画の方が知られている。
== 生涯 ==
[[1828年]]、[[ロンドン]]のシャーロット・ストリートで[[イタリア]]系移民の子として生まれる{{Sfn|『ロセッティ』|1993|p=13}}。父[[:w:Gabriele Rossetti|ガブリエーレ]]は[[アブルッツォ州]][[ヴァスト]]出身の詩人で著名なダンテ詩人であった{{Sfn|『ロセッティ』|1993|p=13}}。ガブリエーレは1831年に創立されたキングス・カレッジにおいてイタリア語教授として勤めていたため、ロセッティと弟ウィリアム・マイケルは1837年秋にキングス・カレッジに入学している{{Sfn|''Rossetti's Schooldays''|1982|pp=71-77}}。ロセッティは絵画と同じく文学も愛し、[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]や[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]を読みながら5歳で戯曲『奴隷』を書くなどの才能を見せていた{{Sfn|『ロセッティ』|1993|p=375}}。絵画技法について、在学中は[[ノリッジ派]]の水彩画家[[ジョン・セル・コットマン]]に師事したが、特別熱意があったわけでもなく、コットマンもまた特別目をかけていたわけではなかった{{Sfn|''Family-letters''|1895|pp=73-74}}。しかしながら父ガブリエーレは友人のJ.H.フリアに宛てた書簡の中で「息子は熱望する絵画の道を追求しはじめている」と書き記しており、それに応えるかのように1841年秋にキングス・カレッジを退学し、大英博物館傍の私立絵画学校ケアリーズ・アート・アカデミーに入学している{{Sfn|『ロセッティ』|1993|p=22}}{{Sfn|''The Rossetti family, 1824-1854''|1932|p=148}}。[[1846年]]、[[ロンドン]]の[[ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ|ロイヤル・アカデミー付属美術学校]]に入学。[[1848年]]、同校の学生であった[[ウィリアム・ホルマン・ハント]](1827年 - 1910年)、[[ジョン・エヴァレット・ミレー]](1829年 - 1896年)らとともに「ラファエル前派」(Pre-Raphaelite Brotherhood)を結成した。