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修道院が広大な[[領地]]や[[財産]]を有するようになった時代、教会刷新をめざして[[クリュニー会]]がベネディクト会の中から派生し、[[910年]]、クリュニー改革運動が起きた<ref name="da"/>。[[12世紀]]中ごろ以降のベネディクト会は、世俗化により衰退した時期もあったが、[[1400年]]頃から再び改革運動が起きた<ref name="da"/>。ベネディクト会からはクリュニー会の他にも、[[カマルドリ会]]、[[シトー会]]、[[厳律シトー会]](トラピスト会)など、多くの修道会が派生したが、ベネディクト会そのものも存続し続けている<ref name="da"/>。
 
画像のような荘厳な建物のひとつは、[[エステ家]]の枢機卿イッポーリト2世・デステにより1565年ごろから改修工事などわれ、現代(2001年)において世界遺産に登録されたものまである。
 
[[宗教改革]]時代に修道会は打撃を受け、イギリス、デンマーク、[[ノルウェー]]、[[スウェーデン]]の修道院は解散させられ、ドイツでは全体の3分の1を喪失した<ref name="da"/>。[[19世紀]]初頭には世俗化する西欧各国の動向によりほとんどの修道院が解散もしくは廃止させられたが、その後、[[1830年]]頃から次第に復興のきざしがみえ、近代に入って学問研究、[[典礼]]運動などを契機に復興を果たし、こんにちにいたっている<ref name="da"/><ref name=akaike>[[#赤池|赤池(2004)]]</ref>。日本においては、厳律シトー会に属する[[北海道]][[北斗市]]の[[トラピスト修道院]]でベネディクト会の活動の様態を知ることができる<ref name=akaike/>。