「医術開業試験」の版間の差分

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== 受験予備校 ==
医術開業試験は、その合格のため「前期3年、後期7年」と言われるほどの難関であった(各年の合格率は、前期・後期ともに10〜20%程度であった)ため、受験のため、多くの受験予備校が生まれたが、そのうちのいくつかの予備校が後の私立[[医学専門学校]]・私立医科大学に発展した。

最も多くの学生を集め、医術開業試験の合格者を輩出したのが、[[長谷川泰]]によって、[[1876年]](明治9年)に設立された[[済生学舎]]である。済生学舎は入学にあたり、学歴・性別・年齢を一切問わなかった。このため、女子については唯一の医学修学機関であった。学期は前後期に分かれ、3年で卒業する仕組みであったが、生徒の目的は卒業ではなく医術開業試験の合格であったことから、学期末試験を受ける者は少なく、医術開業試験に合格するまで在校し、合格が事実上の卒業と考えられていた。
 
[[1903年]](明治36年)に廃校するまで、約2万1000人が在校し、1万2000人弱の医師を送り出したと言われており、医術開業試験合格者総数約2万人の半数以上は[[済生学舎]]出身者である。済生学舎の廃校後、関係者が在校生の救済のため創設したのが、後の[[日本医科大学]]に発展する日本医学校である。