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=== FM-1 ===
1942年春、海軍からの指示で[[グラマン]]社は[[F6F (航空機)|F6F]]量産に集中するため、F4Fと[[TBF (航空機)|TBF]]の生産中止を決定、生産ラインの切り替えが始められた。そして[[ゼネラルモータース]]社 ( GM ) が東海岸の5つの自動車工場を統合して作った、[[イースタン・エアクラフト]](航空事業部)の[[:en:Linden Assembly|リンデン工場]]に生産ラインが移された。GM で作られたワイルドキャットは型式名が「FM」となり、最初の量産型であるFM-1ははF4F-4をほぼコピーしたもので、細部を工場の事情に合わせ手直しした程度であった。
 
本型は1942年4月18日に1800機が発注され、8月31日には量産初号機が初飛行した。そして翌年までに830機が生産された後、FM-2に切り替えられた。
 
=== FM-2 ===
狭く小さい[[護衛空母]]の甲板上では、重量面でF4F-4は運用が難しかった。さらに後継機である[[F6F (航空機)|F6F]]、[[F4U (航空機)|F4U]]はより大重量(特にF4Uは艦上戦闘機としては当時もっとも重かった)で、アメリカ海軍は1942年、F4Fの軽量型を発注する。これに応えてグラマン社はXF4F-8を開発。これは軽い[[鍛造]]製[[シリンダー]]を持つ1段2速[[過給器]]付[[ライト R-1820|R-1820]]-56サイクロンエンジンを搭載し、出力150hp増加したにもかかわらず、重量は102Kgも102kg減少していた。これにより上昇力や運動性が向上したが、過給器が2段から1段に変更されたため中高度以上での性能は低下、低空支援戦闘機としての性格を強めている。また再び機銃が4挺に戻されている(弾数は1挺あたり280発に増加しているが、同じ4挺搭載のF4F-3型よりも少なく重量は減少している)ほか、エンジンカウル、フラップなど、徹底した設計の見直しが図られている。
 
試作型のXF4F-8型は1942年11月8日に初飛行、上記のとおりFM-2としてゼネラルモータースが生産し、主に護衛空母に搭載され、上陸作戦における低空支援任務や特攻機の迎撃に活躍した。本型では従来型にあった着艦時の癖がなくなり、狭い護衛空母への着艦が多い乗員には好評であった。
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=== 諸外国のF4F ===
[[ファイル:Fleet Air Arm Grumman Wildcat.jpg|thumb|300px|right|イギリス海軍のマートレットMk.II(またはIII)]]
F4Fはアメリカ海軍のみならず海外からも注目され、[[フランス海軍]]はF4F-3を81機発注した。しかし納品前にフランスはドイツに降伏したため、イギリスに供与され「マートレットMk.I」(Martlet:[[イワツバメ]]の意)として使用された<ref>この時、[[ブラックバーン]]社によりスロットルの動作方向はフランス式からイギリス式に変更されている。</ref>。艦載戦闘機事情が切迫していた<ref>英国海軍の空母艦載機は未だに単葉機への完全転換もならず、さらには老朽化した複葉戦闘機に変わり[[ブラックバーン スクア|スクア]]急降下爆撃機が戦闘機の代わりをしているという状況であった。また、スクアの戦闘機型である[[ブラックバーン ロック|ロック]]は、戦術思想的失敗と設計的失敗から艦載機としての運用は絶望的であり、さらには、ロックとスクアの交換機として配備したフェアリー社製[[フェアリー フルマー|フルマー]]戦闘機は爆撃機を基にした複座戦闘機であり、新鋭機の導入は急務であった。</ref>イギリス海軍は、さらに「マートレットMk.II」として再発注した。マートレットMk.IIは、アメリカ海軍のものよりも若干手狭であるイギリス空母での運用を考慮して、アメリカ軍向けのF4F-4よりも早く主翼の折り畳み機構が要求されている。ただしエンジンの重量増に加え、機銃を2挺増設したため、450Kgも自重が450kg増加している。
 
イギリス海軍は折り畳み翼への変更ための納品遅延を了承、本格的に納品されたのは1941年半ばになってからであった。納品された機体は護衛空母「[[オーダシティ (護衛空母)|オーダシティ]]」に艦載され、船団護衛に活躍、Uボート撃沈やFw200撃墜などの戦果を残した。これにより、[[潜水艦]]に対する護衛空母の有効性が証明され、その後の大量配備につながった。また、空母「[[イラストリアス (空母・初代)|イラストリアス]]」にも搭載され、1942年5月に行われた[[マダガスカルの戦い|アイアンクラッド作戦]](マダガスカル占領作戦)に投入され、[[ヴィシー政権]]フランス軍と戦闘を行った。