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== 仏教における説明 ==
善因には善果、悪因には悪果が訪れるという[[業]]の因果の法則が説かれている。仏教では、一切の存在は本来は善悪無記であると捉え、業に基づく[[釈迦輪廻]]は、原因だけの世界では結果は生じない、苦楽が応報する説かれている。一切は、直接的要因('''[[因]]''')と間接的要因('''[[縁]]''')の両方がそろっにより生じるとされる。ま、「原縁和合)とき縁って結果はもたらされが起きする([[因縁|因縁果]])。そこでいう法則を、[[縁起]]と呼ぶ[[法 (仏教)|法]]。縁起の解釈は流派によってすべての事象が生じてお異なり、「結果縁起説「原因」も、そのまま別の縁となって、現実はすべての事象が相依相関して成立し呼ばれているとする。
 
釈迦が悟った上記のような内容を[[縁起]]という。その教えを学問上「縁起説」と呼ぶこともある。
 
仏教において因果は次のように説かれる。
* '''善因善果'''(ぜんいんぜんか)…善を行うこと新たな善を促すうむ
* '''悪因悪果'''(あくいんあっか)…悪を行うこと新たな悪を促すうむ
* '''善因楽果'''(ぜんいんらっか)…善が楽ことが自分にとって望ましい結果を招く
* '''悪因苦果'''(あくいんくか)…悪が苦ことが自分にとって望ましくない結果を招く
 
善因には楽果、悪因には苦果が訪れるという法則を'''同類因・等流果'''と呼ぶ。一方、因は善あるいは悪であり、果は無記であることにおいて、因と果は性質が異なることを'''異熟因・異熟果'''と呼ぶ。
 
単純に「善因善果・悪因悪果」について“善いことをすれば良いことが起こり、悪いことをすれば悪いことが起こる”と解説される場合があるが、因と果は、生死を超えた概念であるために、今生の因が今生で果となるとは限らない。また、「良いことをすれば思い通りのことが起きる」という独自な教えを説く団体もあるが、厳密には正確な解釈ではない。
 
=== 過去現在因果経 ===
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=== 因果応報 ===
一切が、自らの原因によって生じた結果や報いであるとする考え方を、因果応報と呼ぶ。
因果応報とは、「善い行いが幸福をもたらし、悪い行いが不幸をもたらす」とする考え方、信仰である。
 
「善い行いが幸福をもたらし、悪い行いが不幸をもたらす」といった考え方自体は、仏教に限ったものではなく、世界に広く見られる。ただし、仏教では、過去生や来世(未来生)で起きたこと、起きることも視野に入れつつこのような表現を用いているところに特徴がある。
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*[[前後即因果の誤謬]]
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==関連文献==
*神塚 淑子「霊宝経と初期江南仏教--因果応報思想を中心に」東方宗教 91,1998/05, pp.1-21 (日本道教学会)