「キッコーマン」の版間の差分

* [[1985年]](昭和60年)、農林水産省果樹試験場とキッコーマンの共同研究で[[オレンジ]]と[[カラタチ]]を融合した世界初のバイオ果実「オレタチ」という果実が誕生した。現在は食用には至ってないが、もの知りしょうゆ館の中庭に植えられている。
*水道事業 1923年に野田醤油(キッコーマンの前の社名)は千葉県内で初めて水道事業を開始した。1921年4月に作られた給水施設「第一給水所」及び1921年8月に作られた第二給水所は井戸水をくみ上げて野田町内十数か所の自社工場や自社の防火用水に給水し、また1923年には工場群一帯の民家にも給水した。この野田醤油から工場近郊住民への水道供給は無料で行われ、また町内には消火栓115か所も設けられた。工場外への給水は給水人口2000人分だったという。1975年に民家への給水は市へ移管したが、自社施設への水道供給は継続している。給水所は2007年に経済産業省の近代化産業遺産に指定されている。当初作られた水道施設の中で高さ22m円筒形の給水塔は老朽化のために使用されなくなり、同社でも歴史的建造物なので耐震補強工事を検討したが、結局は解体されることになった。近代化産業遺産指定は塔だけでなく給水所全体であり、高さ22mの塔の解体は仕方ないとされた。塔は2010年に解体されている。(2009年10月8日東京新聞およびhttp://blog.goo.ne.jp/ryuw-1/e/f738286c9a54e761a79744488c4360bd、「千葉県の歴史」別編民俗2千葉県発行302ページを参照)
*図書館事業 野田町民有志でつくられた野田戌申会は大正7年ごろに図書館建設を企画し高梨・茂木一族の協力で大正10年に戌申会簡易図書館を完成させた。これは板の間12畳、座敷5畳という小さな図書室であったが各界から本の寄贈を受け次第に蔵書も増えていった。しかし、有志での運営にも限界があり大正12年、野田町はこれを買収し野田町立図書館とした。しかし大正12年には関東大震災が起こり、野田の基幹事業の醤油工場も大きな被害を受け野田町も図書館経営に当たる余力に乏しくなった。一方、野田醤油(現キッコーマン)は社会事業を計画し、昭和天皇の即位を機に同名会社千秋社、財団法人興風会などの傘下団体を通じて教育や育英、厚生、および図書館事業を進めることにした。これを受けて野田町は町立図書館の図書資料一式を興風会に寄贈し、野田町の図書館は野田醤油の資金で運営されることになった。1企業が行政に代わって図書館事業を行ったのである。昭和54年には野田市の要望を受け入れ図書館の施設・蔵書の一切を野田市に無償譲渡し野田市立興風図書館となった。(佐藤真著『のだしー歴史の中の野田市』1981年発行p178-184)
 
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