「橋牟礼川遺跡」の版間の差分

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'''橋牟礼川遺跡'''(はしむれがわいせき)は[[鹿児島県]][[指宿市]][[十二町 (指宿市)|十二町]]にある[[縄文時代]]~[[平安時代]]の重層遺跡。それまではっきりしていなかった縄文時代と[[弥生時代]]の存続時代関係を初めて学術的に証明した遺跡として有名である。戦前は'''指宿遺跡'''として知られていた。国の[[史跡]]。
 
[[1918年]](大正7年)、近所の中学生が縄文土器と弥生土器を拾ったことがきっかけとなり発見された。その後、1918年(大正7年)と[[1919年]](大正8年)に[[京都大学]]の[[濱田耕作]]が学術的に発掘を行い、地層関係から「縄文土器は弥生土器より古い」ことが発見された。それまでは「縄文土器と弥生土器は同じ時代に違う民族が作った土器」という説も有力であり、この遺跡の発見により縄文時代→弥生時代という年代関係が確定した。学術的にも重要な遺跡ということで[[1924年]](大正13年)、国の史跡に指定された。