「高島小金治」の版間の差分

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== 経歴 ==
[[上野国]](現・[[群馬県]])[[前橋市]]に高島有八の長男として生まれる<ref name=nihon>[https://books.google.co.jp/books?id=njQse3PEIUIC&pg=PT 『会員追悼録』p45]日本工業倶楽部, 1925</ref>。19歳の明治2年に[[慶應義塾]]卒業後同塾の講師を3年務めたあと、政治活動に転じる<ref name=nihon/>。明治19年渡米し,3年後に帰国して[[大倉喜八郎]]の内外用達会社に入り取締役となる。
 
内外用達会社を解散し、合名会社[[大倉組]]の創立に参加し、副頭取に就任。大倉組では海外貿易を担当し、[[支那]]方面への[[兵器]][[弾薬]]の輸出、[[インド]]の茶畑、[[南アメリカ]]に向かって木材輸出を担当。[[満州]]にて日清豆粕製造社長となり、明治20年に[[日本製靴]]、[[日本皮革]]を設立し、[[大倉商業学校]]理事となる。その後、韓国善隣商業学校評議員(韓国・現善隣インターネット高等学校)などを歴任。
 
[[永田町]]の自邸で亡くなる<ref name=nihon/>。享年62。没年、[[従六位]]に叙された。
 
== 参考文献 ==