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'''フランキー・イェール'''(Frankie Yale(Uale)、[[1893年]][[1月22日]] - [[1928年]][[7月1日]])は、[[ニューヨーク]]の[[ギャング]]。本名'''フランチェスコ・イオエーレ'''(Francesco Ioele)。
 
[[ブラック・ハンド]]のボスとして[[ニューヨーク]]に君臨し、初期の有名な[[ゴッドファーザー]]といわれている。学生風中央分けヘアスタイルと派手でどぎつい服装、ダイヤ入りベルトでギャングファッションを気取った。タバコ会社を所有して自分の顔をプリントしており、全国的な有名人だった。「闇の王子」「ブルックリンのプリンス」と呼ばれた。無類の女好きで、逢引きの時はいつも用心棒を周りに置いた。
 
情に脆く、残忍さと優しさの二面性を持ち合わせており、金持ちから奪った金や物を貧しい人々に分け与えることで人気があった。彼自身が貧しい家庭出身で貧乏のつらさが分かっていたため、貧しい人を襲ったり、ただの強盗をすることを決して許さなかった(自分を慕っている商店に強盗が入った時には、イェールは温情として翌日その店のカウンターに現金を置いておいたこともあったという)。
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=== 暗殺 ===
[[1928年]]にシチリア同盟のシカゴ支部長を巡ってカポネと対立し、その上カポネとの闇酒取引で不正を働いたと疑われ、7月1日に自分の経営するカフェで飲んでいた日に4時を過ぎた頃、イェールの自宅から妻のルーシー(2番目の妻で最初の妻マリアと2人の娘とは別れていた)の具合が悪いと何者かから連絡が入り、自分用心棒を付けずに一人で運転して戻ることにした。帰宅途中に後続の車から放たれた[[トンプソン・サブマシンガン#M1928|トンプソンM1928サブマシンガン]]で殺害された。イェールの運転していた[[リンカーン (自動車)|リンカーン]]は防弾仕様だったがウィンドーガラスには防弾処理が施されていなかった。殺害の実行犯は[[ジャック・マクガーン]]、ジョン・スカリーゼ、アルバート・アンセルミ、フレッド・"キラー"・バーグ。
 
葬儀はギャングとしてはアメリカ建国以来最大の規模で行われ、1515千人の参列者が最後の別れを告げた。その後、前妻のマリア・イェールは家族を養うため工場で1日10時間も働いた。
 
== 外部リンク ==
* [https://en.wikipedia.org/wiki/Frankie_Yale Frankie Yale](英語)Wiki
* [http://www.onewal.com/a025/f_yale.html What do we know about Frankie Yale?] THE AMERICAN MAFIA記事
 
葬儀はギャングとしてはアメリカ建国以来最大の規模で行われ、15万人の参列者が最後の別れを告げた。その後、前妻のマリア・イェールは家族を養うため工場で1日10時間も働いた。
 
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