「ローマの信徒への手紙」の版間の差分

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==歴史==
本書は[[コリントス]]あるいは本書の筆記者テルティオがいるケンクレアイ([[エーゲ海]]に面したコリントス至近の港)において書かれたと思われる。ケンクレイアイのフェベがローマに送り、コリントスの[[ガイオ]]が執筆中に傍らにいたという<ref>16:23、『[[コリントの信徒への手紙一]]』(『一コリ』)1:14</ref>。さらにコリントの街の会計係をエラストがつとめていたという<ref>『二テモテ』4:20</ref>。
 
書簡中には執筆時期をうかがわせる記述はないが、おそらくパウロが[[エルサレム]]教会のための募金を行い、「聖なるものたちに仕えるために」エルサレムを訪問しようとしていたころであると考えられる。すなわち第二回ギリシア訪問のころで、[[58年]]初頭のローマ訪問<ref>『ローマ書』15:25、『[[使徒言行録]]』(使徒書)19:21、『一コリ』16:1-4</ref>の直前の冬であろう。