「フランキー・イェール」の版間の差分

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'''フランキー・イェール'''(Frankie Yale(Uale)、[[1893年]][[1月22日]] - [[1928年]][[7月1日]])は、[[ニューヨーク]]の[[ギャング]]。本名'''フランチェスコ・イオエーレ'''(Francesco Ioele。イタリアの[[カラブリア州]][[ロンゴブッコ]]出身。18911900、一家で[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に渡り、ニューヨークのブルックリンに定住した。イタリア移民に寄生する強請屋(ブラックハンド)の側面と禁酒法下の密輸実業家の面があり、ストリートギャングとシンジケートギャングの中間に位置する。転換期のギャング。
 
== ファイブポインツギャング ==
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20歳までに12人を殺したとされるが、やがてブルックリンの港湾荷役の組合に進出し、商店から保護料を巻き上げた。
 
1909年、24歳でマリア・デラピアと結婚。その後、ローザとイザベラの2人の娘が生まれた。
 
1915年、同じファイブ・ポインツの[[ジョニー・トーリオ]]がシカゴに移った時ブルックリンのシマを受け継いだ。
 
1917年、コニーアイランドに酒場「ハーヴァード・イン」を開いた。同じ頃、バーテンダー兼用心棒に、トーリオから紹介された[[アル・カポネ]]を雇った。
 
1909年、24歳でマリア・デラピアと結婚。その後、ローザとイザベラの2人の娘が生まれた。
 
== VIP暗殺 ==
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葬儀はギャングとしてはアメリカ建国以来最大の規模で行われ、1万5千人の参列者が最後の別れを告げた。その後、前妻のマリア・イェールは家族を養うため工場で1日10時間も働いた。
 
イェールのブルックリンの縄張りの大部分はマッセリア軍団の[[アル・ミネオ]]に引き継がれ、賭博利権と密輸ビジネスは[[アンソニー・カルファノ]]に引き継がれた。
 
== エピソード ==