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競走成績は、2・3歳時に10戦1勝。[[重賞]]では入着級と、競走馬としては大成できなかったが、良血が買われて[[1963年]]、種牡馬として日本に[[輸入]]されることとなった。
 
翌年から種牡馬としての供用が開始され、初年度[[産駒]]からいきなり[[マーチス]]、[[ルピナス (競走馬)|ルピナス]]と2頭の[[クラシック (競馬)|クラシック]]馬を生み出した。その後も、コンスタントに優秀な[[産駒]]を輩出し、「ネヴァーセイダイ系ブーム」の火付け役となり<ref>サラブレッド101頭の死に方1 p102より</ref>、[[1970年]]、[[1972年]]、[[1975年]]、[[1977年]]の[[リーディングサイアー]]に輝いた。[[ブルードメアサイアー]]としても、[[メジロラモーヌ]]や[[サクラユタカオー]]等の活躍馬を送り出すなど、優れた成績を残しており、[[1984年]]、[[1986年]]、[[1988年]]のリーディグブルードメアサイアーとなっている。後継種牡馬には恵まれなかったが、現在は牝系に入ってその血を伝え、高い影響力を保っている。
 
[[1982年]]に種牡馬を引退し、[[浦河町]]の[[荻伏牧場]]で余生を送っていたが、[[1985年]]に老衰のため死亡した。