「上条上杉家」の版間の差分

編集の要約なし
 
== 衰退・断絶と復活 ==
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]初頭の[[上杉定実|定実]]に至り、[[長尾為景]]に擁立されて[[上杉房能|房能]]・顕定を滅ぼし[[越後国|越後]][[守護]]を継ぐ。しかし、定実には継嗣がおらず、[[伊達氏]]からの養子を迎えることを画策するも[[洞の乱|天文の乱]]により果たせず、そのまま断絶した。また、定実の実家である上条家においては、[[上条定憲]]の反長尾活動([[上条の乱]])が知られるが、定憲の後、一名を置いて[[上条政繁]]が家督を継いだ。
 
政繁は、後に[[関東管領]]を継承した[[上杉謙信|上杉輝虎]]の計らいで、[[能登国|能登]][[畠山氏]]([[足利氏]][[一門]]で、上杉家の[[外戚]]にあたる)から[[畠山義春]]を[[養子]]として迎えている。政繁・義春は[[1586年]]頃に上杉家を出奔し、義春は畠山氏に復姓している。上条上杉家は義春の次男[[上杉長員]]が継承し、後に[[江戸幕府]]の[[旗本]]となった。当初の[[知行]]は1,490石だったと云われる。