「1972年の野球」の版間の差分

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* 9月17日 - 阪急の福本豊が対南海戦(大阪)でNPB史上初のシーズン100盗塁
* [[9月19日]] - 阪神対巨人戦(甲子園)で試合中にアルプススタンドに爆弾を仕掛けたとの脅迫電話があり、3回に12分間中断<ref name="sp0786"/>。この試合、巨人の王貞治が初回に阪神の[[山本和行]]から本塁打を放ち、NPB新記録の6試合連続本塁打<ref name="sp09911">[http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_09september/KFullNormal20090901168.html 【9月20日】1972年(昭47) さらに更新!王貞治7試合連続本塁打 引退決意した村山実]スポーツニッポン2009年09月11日配信</ref>
* [[9月20日]] - 巨人の王貞治が対阪神戦(甲子園)で初回、[[村山実]]からNPB記録を更新する7試合連続本塁打。翌21日の同戦で無本塁打に終わり、記録はストップ<ref name="sp09911"/>
* [[9月21日]] - パ・リーグのオーナー懇談会が午後5時より丸の内のパレス・ホテルにて開かれ、ロッテのオーナーの中村長芳が①現状ではセ・パ両リーグの統合は困難②パ・リーグとしては現状の2リーグ制を支持し当面はリーグ振興のため努力する、と報告<ref>日本経済新聞1972年9月22日21面「全会一致で二リーグ制維持 パ・オーナー懇談会」日本経済新聞縮刷版1972年9月p747</ref>。
* [[9月24日]] - 大洋監督代行の青田昇が胆石で入院。コーチの宮崎剛が代行に<ref name="wb49"/>。
* [[9月26日]] - 阪急が対南海戦(西宮)に勝利し、2年連続5度目のパ・リーグ優勝<ref name="usa135">講談社刊 宇佐美徹也著「日本プロ野球記録大鑑」135ページ</ref>。
* [[9月28日]] - 南海の野村克也が対阪急25回戦の4回表に34号本塁打を放ち、プロ通算550本塁打を達成<ref>日本経済新聞1972年9月29日21面「野村、550ホーマー達成 対阪急戦水谷から 1号から17年目」日本経済新聞縮刷版1972年9月p987</ref>。
* [[9月30日]] - [[ピッツバーグ・パイレーツ]]の[[ロベルト・クレメンテ]]が対ニューヨーク・メッツ戦4回裏に2塁打を放ち、MLB通算3000安打達成。この<ref>毎日新聞1972121031に亡くなった2日15面「栄光の11人目 クレメンテの最後の3000本安打となった」毎日新聞縮刷版1972年10月p39</ref>。
 
=== 10月 ===
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* [[10月7日]] - 巨人が対阪神25回戦(甲子園)で5-1と勝利し、8年連続16度目のセ・リーグ優勝が決定<ref name="usa135"/>。
* [[10月9日]] - 南海の[[野村克也]]が対東映26回戦に出場し、山内一弘の記録を抜いて、通算2236試合出場のプロ野球記録を達成。
* [[10月13日]] - 西鉄の選手会長の[[高木喬]]が福岡市内の球団事務所を訪れ、球団常務の[[古賀豊穂]]に対し「選手の総意」としてチームの存続を訴える<ref>毎日新聞1972年10月14日13面「『ライオンズ残して』首筋寒い・・選手陳情」毎日新聞縮刷版10月p413</ref>。
* [[10月15日]] - この日行われたヤクルト対阪神戦が、東京球場で行われた最後の公式戦となる。
* [[10月16日]] - 沢村賞に巨人の堀内恒夫が選出される。
* [[10月17日]] - 広島は新監督に別当薫が就任したと発表<ref>毎日新聞1972年10月17面「別当広島監督が正式契約」毎日新聞縮刷版1972年10月p539</ref>
* [[10月20日]]
**ロッテのオーナーの中村長芳は、12球団オーナー会議終了後に記者団に対して「ペプシ・コーラがパ・リーグの某球団を買収するめどがついた。22日に香港へ飛び最終的な話し合いを行う」と発表。だが午後8時半より赤坂の中村事務所にて2度目の記者会見を行い「夕方にペプシ本社から、球団の買収を断るという連絡がきた」と発表<ref>読売新聞1972年10月21日11面「パ・リーグ 6球団制ピンチ 西鉄、解散の非常事態 頼みの買い手 キャンセル」読売新聞縮刷版1972年10月p729</ref>。
**東映のオーナーの[[大川毅]]が午後、東映不動産にて記者会見し球団の身売りの意向を明らかにした<ref>読売新聞1972年10月21日11面「東映も身売り」読売新聞縮刷版1972年10月p729</ref>。西鉄、東映と身売りが表面化し、パ・リーグの存続が危ぶまれる事態となる。
*[[10月21日]] - パイオニアの社長の[[石塚庸三]]が午後、赤坂にある中村事務所を訪れ、中村から打診されていたパイオニアによる東映の買収の話を断ることを伝える<ref>日本経済新聞1972年10月21日夕刊11面「パイオニア、東映買収断る」日本経済新聞縮刷版1972年10月p759</ref>。
* [[10月28日]]
**[[1972年の日本シリーズ|日本シリーズ]]の第5戦が西宮球場で行われ、巨人が阪急に8対3で勝利し、4勝1敗で日本シリーズ8年連続優勝<ref>読売新聞1972年10月29日1面「巨人が八年連続日本一」読売新聞縮刷版1972年10月p1009</ref>
**西鉄はロッテのオーナーの[[中村長芳]]が買収することになり、球団譲渡調印が福岡市内の西鉄グランドホテルにて午後3時より行われる<ref>読売新聞1972年10月29日11面「新ライオンズ誕生 稲尾監督、就任を受諾」読売新聞縮刷版1972年10月p1019</ref>
* [[10月29日]]
**最優秀選手にセ・リーグは巨人の[[堀内恒夫]]、パ・リーグは[[福本豊]]が選出される。
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=== 11月 ===
* [[11月1日]] - 阪急は[[ダリル・スペンサー]]選手兼守備コーチの退団を発表し、自由契約とした。
* [[11月2日]] - 阪神は監督兼選手の村山実が現役引退したと発<ref>[http://www.obclub.or.jp/%E6%97%A5%E3%82%81%E3%81%8F%E3%82%8A-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%97%E3%83%AD%E9%87%8E%E7%90%83%E5%8F%B2/11%E6%9C%881%E6%97%A5-10%E6%97%A5/ 日本プロ野球史■ 経済新聞1972年11月13〜10日]全国野球振興会 20面「『11』を永久欠番に 村山、阪神を正式に退団」日本プロ野球OBクラブ公式サイト経済新聞1972年11月p96</ref>
* [[11月9日]] - パ・リーグ理事会が開かれ、来季より前後期の2シーズン制となり、プレーオフの導入を決める<ref>朝日新聞1972年11月10日17面「来季から2シーズン制 パリーグ」縮刷版
p325</ref>。