「曽根崎心中」の版間の差分

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「此の世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜」で始まる有名な道行の最後の段は「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」と結ばれ、お初と徳兵衛が命がけで恋を全うした美しい人間として描かれている。
 
* 初版完全版『竹本筑後掾正本、山本九兵衛・山本九右衛門板「曽根崎心中」』が黒部市美術館に、奥書欠本のものが[[大阪府立中之島図書館]]に存在する。
 
==物語背景==
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[[ファイル:Tsuyu-tenjinsha haiden.jpg|thumb|left|]]
曽根崎心中の題材となった事件の現場。大阪市北区曽根崎2丁目の[[露天神社]](つゆのてんじんじゃ)のこと。事件の概要は[[元禄]]16年([[1703年]])4月7日に「天神の森(現在の社の裏手)」で、内本町平野屋の手代「徳兵衛」が堂島新地天満屋の遊女「お初」をその同意のもとに殺害し、同人もその場で自殺した相対死事件である。ところが、一月後[[近松門左衛門]]は暫く筆を休めていた後の作品として、この二人の悲恋を[[人形浄瑠璃]]『[[曽根崎心中]]』として発表した。この作品は近松の期待どおり、当時の世相人情の機微をつかみ大反響を得て大きな話題となった。また、事件の神社は一躍有名となり、その[[ヒロイン]]である「お初」の名前から以後今日に至るまで「お初天神」と通称されている。
 
平成16年(2004年)[[4月7日]]には301年祭として、露天神社境内にブロンズの慰霊像が建立され、平成17年(2005年)4月7日には「大阪伝統文化を育む会」の主催により写真展・資料展が開催された。<!--写真展の写真提供は、写真家の出上実氏-->
平成16年(2004年)[[4月7日]]には301年祭として、露天神社境内にブロンズの慰霊像が建立され、平成17年(2005年)4月7日には「大阪伝統文化を育む会」の主催により写真展・資料展が開催された。近松は、曽根崎心中の中でお初を「三十三に御身を変へ、色で導き情けで教へ、恋を菩提の橋となし、渡して観世音、誓ひは妙に有難し」とお妙の名と観音信仰(明治以前は[[神仏習合]]が常態であったので神社と分けて考えない)をかけ、「未来成仏疑いなき、恋の手本となりにけり」と結んでいる。
 
なお「お初」は天満屋での呼び名であり、墓所(慰霊碑)に記された[[久成寺]](大阪市中央区中寺)での戒名は妙力信女であることから「お妙」などが推測される。「お初」の墓石は天満屋が事件後に久成寺にたてたが、明治の[[廃仏毀釈]]などのため所在が不明となり <ref>三善貞司『大阪伝承地誌集成』清文堂 ISBN978-4-7924-0647-9 C0521</ref> 、その後2002年(平成14年)「お初」の300回忌を機縁に、当寺の住職と檀家らの手により再建されている。
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===復活公演===
江戸時代に初演を含め数回で禁止されたが、筋が単純であることもあって長く再演されないままだった。詞章は美しいため、[[荻生徂徠]]が暗誦していたとも言われる([[大田南畝]]「一話一言」)。戦後の[[昭和]]28年([[1953年]])に歌舞伎狂言作者の[[宇野信夫]]が脚色を加え、復活した。人形浄瑠璃では昭和30年([[1955年]])1月に復活公演が行われた。
* '''歌舞伎''':昭和28年(1953年)、東京の[[新橋演舞場]]での上演で再開。[[中村鴈治郎 (2代目)|中村鴈治郎]] ・中村扇雀(現・[[坂田藤十郎 (4代目)|坂田藤十郎]])による。原作にない九平次の悪が露見する場面を入れ扇雀のお初の美しさによりヒット、以後何度も宇野版で上演されるようになった。
* '''人形浄瑠璃''':昭和30年(1955年)1月、[[四ツ橋]]の[[文楽座]]での上演で復活(脚本脚色・作曲:[[野沢松之助]])。お初:吉田栄三、徳兵衛:[[吉田玉男 (初代)|吉田玉男]]。原作をテンポなどにより原文からアレンジした。また江戸時代の初演時代には人形は2人で操作していたが、後に3人操作になっていたため足をつけるという演出がほどこされた。
== 劇映画 ==
昭和53年([[1978年]])4月29日公開。
 
=== スタッフ ===
* 製作会社:行動社、木村プロ、ATG
* 監督:[[増村保造]]
* 脚本:[[白坂依志夫]]・増村保造
* 音楽:[[宇崎竜童]]<ref>後に、この主演・音楽が縁となり、[[文楽]][[浄瑠璃]]の吉田小玉(後の五代目[[吉田文吾]])が座長となって製作された『ロック曽根崎心中』の音楽を担当し、[[文楽協会]]と[[ダウンタウンブギウギバンド]]が全国巡業した。</ref>
 
=== キャスト ===
* 平野屋徳兵衛:宇崎竜童
* 天満屋お初:[[梶芽衣子]]
* 平野屋久右衛門:[[井川比佐志]]
* お才:[[左幸子]]
* 油屋九平次:[[橋本功]]
* 天満屋吉兵衛:[[木村元]]
* 碇屋勘兵衛:[[灰地順]]
* おみね:[[目黒幸子]]
* お玉:[[青木和代]]
* おかよ:[[千葉裕子]]
* 本家の主人:[[加藤茂雄]]
* 手代市兵衛:[[山本廉]]
* 町衆:[[伊藤正博]]
ほか
 
== 文楽浄瑠璃映画 ==
 
1981年10月完成。
 
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=== スタッフ ===
* 製作会社:栗崎事務所
 
*製作会社 監督[[栗崎事務所碧]]
*監督 撮影:[[栗崎碧宮川一夫]]
*撮影 録音:[[宮川一夫吉田庄太郎]]
* 配給会社:[[エキプ・ド・シネマ]]
*録音:[[吉田庄太郎]]
*配給会社:[[エキプ・ド・シネマ]]
 
=== キャスト ===
【人形遣い】
*平野屋徳兵衛(主遣い):[[吉田玉男 (初代)|吉田玉男]](初代)
*天満屋お初(主遣い):[[吉田助]] (三代目)
*:[[吉田文雀]]
*:[[吉田文吾|吉田小玉]]<ref>製作時のクレジット。後の五代目文吾</ref>
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== 参考文献 ==
{{Wikiquote|近松門左衛門}}
* 松平進 編『新注絵入曾根崎心中』(平成10年([[1998年]])[[和泉書院]]
* 『近松浄瑠璃集上(新日本古典文学大系91)』(平成5年([[1993年]]))[[岩波書店]]
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
* [[近松門左衛門]]
* [[人形浄瑠璃]]
* [[曽根崎新地]]
* [[観音信仰]]
* [[ええじゃないか]]、[[天明の打ちこわし]] 曾根崎心中に先立つ「江戸時代の閉塞感」の代表例
 
== 関連史料 ==
* 『日本古典文学大系』
* 藤野義雄『曾根崎心中・解釈と研究』
 
== 外部リンク ==
* [http://enmokudb.kabuki.ne.jp/repertoire/426 曽根崎心中(歌舞伎 on the web)]
* [http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc13/sakuhin/index.html 近松門左衛門 主要作品紹介] - 日本芸術文化振興会
* [http://www.ohatendori.com/index.php お初天神通り商店街会]
 
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[[Category:浄瑠璃]]
[[Category:歌舞伎の演目]]