「高橋徹 (レーサー)」の版間の差分

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全8戦で行われる全日本F2は前半を終えランキング6位。新人としては決して悪くない位置だったが、デビュー戦で2位を獲った事で周囲もファンも優勝を期待。高橋自身も「1位しか価値がない」と周囲に漏らしていたと言われる。また、富士での事故の直前には、成績が伸び悩んでいた。そんな状況の中で迎えた10月23日の富士GCシリーズ最終戦「富士マスターズ250キロレース」、高橋のマシンは決勝レースでトップを走る星野を追走していた。だが、2周目の最終コーナー立ち上がりでスピンを喫した。車体は木の葉のように舞い上がり、車体上面(運転席付近)から観客席フェンスに突き刺さるようにクラッシュ。マシンやその破片の直撃を受けた観客一人が即死、一人重傷、二人が軽傷を負うという大事故となった。高橋は富士スピードウェイの医務室に運ばれたが死亡が確認された。まだ23歳と17日だった。
 
高橋がトップ・カテゴリーで戦ったのは僅か8ヶ月だったが、この短い期間にレース関係者・ファンに強烈な印象を残した。1960〜1970年代に見られた富裕層出身のドライバーと違い、高橋はどこにでもいる普通の若者然としており、それでいて一気にトップ・カテゴリーに上り詰めたことから、「新人類ドライバー」などと言われたこともある。同年齢のライバルだった[[鈴木亜久里]]は後年「徹が生きていたら、絶対にF1に乗ったはず」と、高橋の才能を高く評価している。
 
== 波紋 ==