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[[李氏朝鮮|朝鮮]]初期に[[漢城府]]北部順化坊に属して、[[1914年]]4月、行政区域統廃合により、北部順化坊毓祥宮洞、東谷、温井洞、新橋洞、朴井洞などの各一部を統合して宮井洞になった。
 
[[1936年]]4月、洞名が日本式地名に変更されることにより宮井町になり、[[1943年]]4月、区制実施で[[鍾路区]]宮井町になった。[[1946年]]、[[大日本帝国]]の残滓清算の一環として、町が洞に変わる際、宮井洞になった。法定洞である宮井洞は行政洞の[[清雲孝子]]の管轄にある。
 
メットルバウィ、大隠岩、屛風バウィ、東ゴル、パグムルコル、毓祥宮ゴル、八道ベミなどの旧地名がある。東コルは[[毓祥宮]]の東にあることから、東コルは[[毓祥宮]]の東にあることから、パグムルコルはパグムルが、毓祥宮ゴルは[[毓祥宮]]があることから名称が由来して、八道ベミは王が直接農を営んだ所で、現在は住宅街になった。