「硫砒鉄鉱」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
38行目:
用途としてもっとも使用されるのが亜ヒ酸(As<sub>2</sub>O<sub>3</sub>)の製造である。亜ヒ酸は古くから知られていた猛毒だが、[[ガラス]]のつや消しや緑色[[顔料]]、そして[[農薬]]、[[殺虫剤]]として大量に用いられていた。亜ヒ酸は焼釜などで焙焼することで得られる。
 
[[金]]、[[銅]]、[[錫]]、[[タングステン]]、[[アンチモン]]等を採掘する[[鉱山]]においては、硫砒鉄鉱が付随して産出することが多かった。このため、これらの[[精鉱]]あるいは[[地金]]の他に、市況の変化を観測して副産物として亜ヒ酸の生産に務める鉱山も多かった。笹ヶ谷鉱山で製造された「石見銀山ねずみ獲り」のように江戸時代にはすでに生産が行なわれていたと見られるが、日本各地の鉱山で亜ヒ酸の生産が本格化したのは、ドイツからの化学薬品輸入が途絶えた[[第一次世界大戦]]以降である
 
これらの多くは[[陶芸]]に用いられる[[登り窯]]に酷似した原始的な焼成炉が用いられた。一番下の段に砕いた硫砒鉄鉱と燃料([[木炭]]など)の混合物を入れて燃焼し、発生する亜ヒ酸を含む[[煤煙]]を階段上に区切った収集室に引き寄せ、亜ヒ酸の結晶を収集した。この方法では煤煙から亜ヒ酸を完全に収集(除去)する事は不可能であり、[[二酸化硫黄|亜硫酸ガス]]等も含む煤煙は一番上段から吐き出される事になった。排出された煤煙は周辺の山林を枯らした他、亜ヒ酸の収集も収集室に人が入って行うために労働者も亜ヒ酸に[[曝露]]される事となった。鉱山によっては、選鉱の前処理として亜ヒ焼きを行い、水で鉱石を冷却したのち[[比重選鉱]]を行なったケースもあり、この場合は排水に多量の亜ヒ酸が流出する事となった。