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=== 満洲国・親日政府での活動 ===
[[1933年]]2月、[[ソビエト連邦]]の[[チタ]]に[[満州国]]領事館が開設されることになり、李垣が領事に任命された<ref>「満洲國領事館 チタに新設」『読売新聞』1933年1月29日。</ref>。[[1935年]](民国24年)11月、[[殷汝耕]]が冀東防共自治委員会(翌月、[[冀東防共自治政府]]に改組)を成立させると、李垣もこれに参加して貨物査検所長に任命されている<ref>高木(1937)、139頁。</ref>。以後、李垣の行方は不詳である<ref>尾崎監修(1940)、329頁の記載によると、[[中華民国臨時政府 (北京)|中華民国臨時政府]]が[[1938年]](民国27年)10月1日に財政部を創設した際に李垣が同部総務局長に就任、としている。しかし、劉ほか編(1995)、1021頁及び1288頁によれば、この総務局長に就任した人物は「'''李桓'''」(別号は経武。[[四川省]][[隣水県]]出身)という別人である。</ref>。
 
[[中華民国臨時政府 (北京)|中華民国臨時政府]]が[[1938年]](民国27年)10月1日に財政部を創設すると、李垣は同部総務局長に就任、[[汪兆銘政権]](南京国民政府)と合流する[[1940年]](民国29年)3月30日まで同職にあった<ref>劉ほか編(1995)、1021頁では「'''李桓'''」との記載になっている。尾崎監修(1940)、329頁の記載により、この人物が李垣であると確認可能。</ref>。汪兆銘政権成立後における李垣の行方は不詳である。
 
== 注 ==