「岩手県立福岡高等学校」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
構成見直し。表記ガイド
192行目:
通常の[[ローマ字]]では"Fukuoka"と表記されるべき校名だが、野球部のユニフォームには『H』一文字を使用している。他の運動部などでも『HUKUOKA』と表記することが多い。これは郷土の偉人[[田中舘愛橘]]博士の提唱した[[日本式ローマ字]]の記載方法を採用している為である(国内で一般的に使用されているのは[[ヘボン式]])。しかし、一時期ではあるが[[1958年]]から[[1960年]]の間は『Fukuko』を使用していた。なお、二戸市立福岡小学校野球部と[[二戸市立福岡中学校]]野球部のユニフォームも『H』一文字であり、福岡高校野球部のユニフォームとほとんど同じである。ちなみに、どちらも岩手県内有数の強豪チームであり、なかでも二戸市立福岡中学校野球部は[[2006年]]に[[全国中学校軟式野球大会]]で全国制覇を果たしている。
 
夏の甲子園大会に向けて行なわれる『'''暑中行軍'''』(80キロ行軍とも言う)は、応援団幹事と生徒有志が野球部の応援のために学校から'''約80km'''を約25時間かけて、ほぼ不眠不休で徒歩にて[[岩手県営野球場]]入りするもので、岩手県の夏の風物詩ともなっている。当初は学校非公認の行事であり生徒の自主行事との位置付けだった為、かつては停学処分を受けた生徒も存在したようだが、学校側は一度も阻止に出たことはなく現在では学校公認の行事となっている。『暑中行軍』の命名者は絵本作家の[[馬場のぼる]]([[1945年]]卒)であるが、野球部が10度目の甲子園出場を果たした[[1985年]]の11月12日に、[[日本放送協会|NHK盛岡放送局]]でこの行事を題材として採り上げた『地域スペシャル東北アワー730 バンカラ街道80キロ〜福岡高校応援団の25時間〜』というタイトルの[[ドキュメンタリー]](28分間)が放送されたことから、以後は『80キロ行軍』と呼ばれる事も多い。なお、このドキュメンタリー放送の取材時期は[[1985年]]の夏の県大会直前であり、その結末には同県大会で野球部が優勝して甲子園出場を果たすという、まるでテレビドラマの様なストーリーの相乗効果もあり、甲子園同様に全国に大反響を呼んだ。その後[[2005年]]5月22日に再放送されて、改めて『岩手県立福岡高校バンカラ応援団』の存在を全国に周知せしめた。最近では岩手県営野球場ではなく、初戦が行なわれる球場を目指して100km以上歩くこともあり、金ヶ崎の森山球場まで歩いたことは未だないものの、[[2009年]]は雫石球場まで(約100km)、[[2010年]]は[[花巻球場]](約120km)までとその過酷さは年々増している。[[水島新司]]の野球漫画『[[ドカベン]]』に登場する『[[弁慶高校]]』のモデル校である話は余りにも有名な逸話である。
 
他の部活動についての詳細は部活動欄に記載の通りであるが、古くは[[1929年]]に[[柔道]]部が全国制覇、[[1930年]]に[[剣道]]個人で全国優勝、[[全国高校駅伝]]で第3位入賞などの実績がある。部ではなく選抜チームとして、[[2006年]]には[[全国高等学校カーリング選手権大会]]で男子が準優勝を果たしている。