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Category:中国共産党中央委員会総書記
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胡耀邦は国民から愛された開明的指導者だった。長老・保守グループの批判、さらには鄧小平の政治的引き締めの要求にも応じなかったため最後は解任されたが、中華人民共和国はその大きなツケを天安門事件として支払うことになった。
 
[[2005年]][[11月18日]]、党中央は胡耀邦生誕90周年の座談会を開き、[[温家宝]]、[[曽慶紅]]、[[呉官正]]らが出席した。当初は[[胡錦濤]]総書記が出席し発言する予定だったが、[[江沢民]]元総書記の反対により出席は見送られた。[[ロイター通信]]によれば、温家宝も「もし胡耀邦を記念するなら、趙紫陽はどうするのか、[[六四天安門事件|六四]](第二次天安門事件)はどうするのか」と発言したという。
 
温家宝首相は、第二次天安門事件のきっかけにもなった胡耀邦を「師」と仰いでいる。[[2010年]][[4月15日]]、温家宝は人民日報に胡耀邦を偲ぶ回想記を発表した。「胡氏が現場の状況を理解しようとしていたことは明白であり、『(指導者は)民衆の苦しみを子細に観察し、直接の資料を把握しなければならない』という胡氏の言葉が耳に残る」「清廉潔白で親しみやすかった姿が今でも懐かしさとともに思い浮かぶ」とした。温家宝は胡耀邦の死去の際に、入院先に真っ先に駆けつけたという。また、温家宝は毎年旧正月の時期になると胡耀邦の居宅を訪問し、胡耀邦の肖像画を見ることで仕事の原動力になる、と語った<ref>『産経新聞』2010年4月16日付記事。</ref>。
この記事の政治的意味は議論が分かれるところである。
 
== エピソード ==
 
[[山崎豊子]]の「[[大地の子]]」執筆の際に胡耀邦が全面協力を行い、閉鎖的な中国政府各方面に取材に応じるよう指示を行ったとされる<ref>出典 文春文庫「大地の子と私」</ref>。
 
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{{先代次代|[[中国共産党中央委員会主席|中央委員会主席]]|[[1981年]] - [[1982年]]|[[華国鋒]]|総書記制に移行}}
{{先代次代|[[中国共産党中央書記処|中央書記処総書記]]|[[1980年]] - [[1982年]]|[[鄧小平]]|[[万里]](常務書記)}}
{{先代次代|[[中国共産党中央宣伝部|中央宣伝部長]]|[[1978年]]12月 - [[1980年]]3月|[[張平化]]|[[王任重]]}}
{{先代次代|[[中国共産党中央組織部|中央組織部長]]|[[1977年]]12月 - [[1978年]]12月|[[郭玉峰]]|[[宋任窮]]}}
{{先代次代|[[陝西省]]党委書記 |[[1965年]] - [[1966年]]|張徳生|霍子廉}}
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{{DEFAULTSORT:こ ようほう}}
[[Category:中華人民共和国の政治家]]
[[Category:中国共産党の人物]]
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[[Category:中華人民共和国の政治家]]
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