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いっぽう、現在の[[大相撲]]は神社仏閣の再興や造営の費用を捻出するための江戸時代初期の'''勧進相撲'''(かんじんずもう)に端を発している。勧進相撲は、[[京都]]、[[大阪|大坂]]、[[江戸]]の[[三都]]を中心に開かれた。当時、各地に職業的な力士集団が生まれつつあり、勧進相撲に招かれては出場した。しかし、戦国時代の気風が抜けきれず、様々な問題を引き起こしたため、江戸幕府は[[慶安]]元年([[1648年]])に「風紀を乱す」という理由で勧進相撲禁止令を出している。
[[貞享]]から[[元禄]]にかけて、勧進相撲の禁令は随時解かれていき、江戸でも1680年代に興行制限が大幅に緩和され、貞享元年([[1684年]])に[[富岡八幡宮]]で再開された
やがて、[[寛保]]2年([[1742年]])に江戸で勧進興行のすべてにわたって解禁され、春は江戸、夏は京、秋は大坂、冬は江戸で「四季勧進相撲」を実施するという体制が確立していく。神社仏閣の再興などに資することがなくなっても「勧進相撲」の名称はのこったが、それは[[幕藩体制]]において寺社奉行の許可が必要だったためである。そして、[[1925年]]([[大正]]14年)には東京、大阪の相撲集団が合流し大日本相撲協会(いまの[[日本相撲協会]])へと発展する。形式的にではあるが、「勧進元」という呼称は[[1944年]]([[昭和]]19年)まで残り、その名残として地方巡業の主催者のことを勧進元とよぶことが多い。
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