「フィオドラス・アルギルダイティス」の版間の差分

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'''フィオドラス・アルギルダイティス''' ([[1324年|1324]]/[[1326年]]頃<ref name="Тенговский"/> — [[1394年]][[2月10日]]から[[1400年]]の間<ref name="Тенговский"/>)は、[[ゲディミナス朝]]([[アルギルダス家]])出身の[[:uk: Ратне|ラトネ]]、[[リュボームリ]]、そして恐らくは[[:be-x-old:Кобрынскае княства|コブリン]]<ref name="Вольф">''Wolff J.'' Kniaziowie litewsko-ruscy od końca czternastego wieku. — Warszawa, 1895. — S. 338. {{ref-pl}}</ref>の[[:ru:удельный князь|分封公]]である。実の兄弟と同じように[[正教会]]の儀式にて[[キリスト教]]名と洗礼を受けた。
 
伝統的にはフィオドラスは[[リトアニア大公国|リトアニア]][[リトアニアの統治者の一覧|大公]][[アルギルダス]]とその最初の妻である[[:ru:Марияマリヤ・ヤロスラヴナ Витебская(リトアニア大公妃)|マリヤ・ヴィテフスカヤ]]<ref name="Вольф"/>の末子だと見做されているが、[[ポーランド王国|ポーランド]]の歴史家[[:pl:Jan Tęgowski|ヤン・テゴウスキイ]]は同じくアルギルダスの最初の妻であるアンナの長男であると見做している<ref name="Тенговский">''Tęgowski J.'' Pierwsze pokolenia Giedyminowiczów. — Poznań-Wrocław, 1999. — ISBN 83-913563-1-0. — S. 57-61. {{ref-pl}}</ref>。同様の結論は[[ハンガリー王国|ハンガリー]][[ハンガリー国王一覧|国王]][[ラヨシュ1世]] の[[1377年]] [[9月29日]]充ての手紙<ref>[http://starbel.narod.ru/d042.htm Письмо Людовика Франциску Каррара]. Сайт «Гісторыя Беларусі IX—XVIII стагоддзяў. Першакрыніцы». {{проверено|12|03|2011}}</ref>にて<ref name="Тенговский"/>フィオドラスのことをアルギルダスとアンナの長男と呼んでいることに根拠をおいている。
 
1377年にアルギルダスが死ぬとフィオドラスは異母弟[[ヴワディスワフ2世 (ポーランド王) |ヨガイラ]]を[[:en:Suzerainty|宗主]]として認めることを良しとせず、自ら進んでラヨシュ1世に[[:en: Vassal|臣従の誓いを立てた]]。この事実はフィオドラスが[[ヴォルィーニ公国|ヴォルィーニ公]][[:ru:Фёдор Любартович|フィオドラス・リウバルタイティス]]に属さない領地を所持していたことからも伺える。[[1386年]] [[10月23日]]にフィオドラスはヨガイラへ完全に忠誠を誓った<ref>''Шабульдо Ф. М.'' [http://www.tuad.nsk.ru/~history/Author/Russ/SH/ShabuldoFM/VKL/21.html Земли Юго-Западной Руси в составе Великого княжества Литовского]. — Киев: Наукова думка, 1987. — 181 с.</ref>。