「国際連合本部ビル」の版間の差分

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'''国際連合本部ビル'''(こくさいれんごうほんぶビル、{{lang-en|United Nations Headquarters}})は、[[国際連合]]の本部が入るビル群。[[アメリカ合衆国]]の[[ニューヨーク市]]にある。
 
[[マンハッタン]]の東辺{{仮リンク|タートル・ベイ (マンハッタン)|label=タートル・ベイ|en|Turtle Bay, Manhattan}}に位置し、その敷地は西は[[1番街 (マンハッタン)|1番街]]、東は[[イースト川]]、北は48丁目東、南は[[42丁目]]東に囲まれている。
 
主に、地上39階・地下3階建ての[[国際連合事務局|事務局]]ビルのほか、[[国際連合総会|総会]]会議場、理事会会議場、図書館から成る。
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| date=1945-10-24}}</ref>。ニューヨークが選ばれたのも、各国国連代表部の暗号公電・訓電をアメリカが盗聴するのに都合がよかったからだと云われている<ref>ジェイムズ・バムフォード 『すべては傍受されている―米国国家安全保障局の正体』第3章</ref>([[UKUSA協定#歴史]])。
 
1946年後半、国連の立地選定のための特別委員会が[[フィラデルフィア]]、[[ボストン]]、[[サンフランシスコ]]などの候補地を視察したが、第1候補地はニューヨークの北方と決まった。当初は人口密度の高いマンハッタンは考慮されていなかったのである<ref name="UN" />。ところが[[ジョン・ロックフェラー2世]]が同年12月になって[[ユダヤ系]]<ref>The Toronto Star: "Paul Reichmann: The genius who reshaped the world’s skylines" By David Olive October 26, 2013 | "The brash Bill Zeckendorf, a New Yorker, somehow managed the feat of erecting Montreal’s inspiring Place Ville Marie as a collaboration between a Jew (himself); a tradition-bound Scottish skinflint lead tenant, James Muir, then-CEO of the Royal Bank of Canada; and a fiercely nationalistic Québécois mayor, Jean Drapeau."</ref>アメリカ人の不動産業者[[:en:William Zeckendorf{{仮リンク|ウィリアム・ゼッケンドルフ]]|en|William Zeckendorf}}が所有<ref>Amon, Rhoda. "Legacy: William Zeckendorf: Planner, Dreamer". Newsday.</ref>する現在の場所を購入する費用850万ドルの提供を申し出たことにより、同月14日ニューヨーク[[クイーンズ区]]フラッシングで開かれていた第1回国連総会(第2部)で前の決議を変更して、同土地を国連本部の場所とすることが決議された (A/RES/100 (I))<ref>{{Cite web
| url= http://www.undemocracy.com/A-RES-100%28I%29.pdf
| format=PDF
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国際連合は、本部ビルの建設に当たって、コンペを実施するのではなく、各国の一流の建築家を集めて共同チームを結成することとした。アメリカの建築家{{仮リンク|ウォレス・ハリソン|en|Wallace Harrison}}が計画責任者に指名され、加盟国の推薦により設計委員会が選定された。設計委員会のメンバーには、[[ソビエト連邦|ソ連]]の [[N・D・バソフ]]<!--N.D. Bassov-->、[[ベルギー]]の[[ガストン・ブルンファウト]]<!--Gaston Brunfaut-->、[[カナダ]]の{{仮リンク|アーネスト・コーミア|en|Ernest Cormier}}、[[フランス]]の[[ル・コルビュジエ]]、[[中華民国]]の[[梁思成]]、[[スウェーデン]]の[[スヴェン・マルケリウス]]、[[ブラジル]]の[[オスカー・ニーマイヤー]]、[[イギリス]]の[[ハワード・ロバートソン]]、[[オーストラリア]]の [[G・A・ソイリュー]]<!--G. A. Soilleux-->、[[ウルグアイ]]の{{仮リンク|フリオ・ヴィラマホ|en|Julio Vilamajó}}が名を連ねた<ref name="UN"/>。
 
ハリソンと設計委員会のメンバーは、1947年から[[ロックフェラー・センター]]のオフィスで設計作業を開始し、約50の基本デザインを作成、検討した。敷地は比較的手狭であったので、{{仮リンク|国連事務局ビル|label=事務局ビル|en|United Nations Secretariat Building}}を高層化する必要があったが、これを42番ストリート沿いの[[公共交通機関]]からのアクセスを考慮して敷地南側に配置した。なお、南北に長い向きとなったのは、見栄えの配慮もあるが、東西に長くすると敷地全体への[[日照]]を妨げるためでもあった。国連本部はニューヨークの建築法規に法的に拘束されないが、防火基準など基本的な点においてはニューヨーク市の条例に沿った設計となっている。当初の建築予算は約8500万ドルだったが、[[トリグブ・リー]] [[国際連合事務総長|事務総長]]の指示により、2000万ドル予算をカットすることとなり、事務局ビルは45階建てから39階建てとし、会議室スペースも減らし、図書館には既存の建物を利用することとした<ref name="UN"/>。こうして、1947年11月20日、総会で、予算6500万ドルの国連本部建設計画が承認され、その資金全額につきアメリカ合衆国政府から無利息で貸付けを受けることとなった<ref>{{Cite web
| url=http://daccess-dds-ny.un.org/doc/RESOLUTION/GEN/NR0/038/89/IMG/NR003889.pdf?OpenElement
| title=182 (II) Headquarters of the United Nations
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| accessdate=2011-04-27 }}</ref>。
 
その後、1961年に{{仮リンク|ダグ・ハマーショルド図書館|en|Dag Hammarskjöld Library}}が完成した。また加盟国の増加により内装も変更が必要となった。設計当初は70か国までの増加を想定していたが、完成から3年後の1955年にはすでにこれを超えてしまったため、1964年に300万ドルをかけて大改装を行い、議場スペースを拡張するとともに126か国まで対応可能なスペースを作った。1976年には1500万ドルの予算で総会議場その他の会議場を拡張する改装が総会で承認され、1980年9月に完成した。1981年6月には総会議場の北側に広がる芝地の地下に文書複写センターが工費2560万ドルをかけて建設され、翌年には、事務局ビルの南東側、イースト川を見下ろす場所に、[[カフェテリア]]、会議室等を設けた2階建ての建物が870万ドルをかけて建設された<ref name="UN" />。
 
== 構成 ==
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安全保障理事会の議場はノルウェーの{{仮リンク|アーンシュタイン・アーネベルグ|en|Arnstein Arneberg}}が設計したもので、一般傍聴席164席とプレス用118席が設けられている。その隣にある信託統治理事会の議場はデンマークの[[フィン・ユール]]が設計したもので、一般傍聴席164席とプレス用30席を備える。この部屋は総会の主要委員会によっても使われている。経済社会理事会は、信託統治理事会議場と代表団北ラウンジとの間にあり、スウェーデンのスヴェン・マルケリウスの設計によるもので、1973年の理事国倍増に伴い1974年改装された。一般傍聴席336席とプレス用40席を備える。2階には、経済社会理事会議場の北隣に代表団用ラウンジがあり、安全保障理事会議場の南隣にも小さいラウンジがある。下の階には、三つの大会議室(それぞれ幅72フィート、奥行き135フィート、高さ18フィート)があり、第1・第2会議室は代表団用498席、プレス用36席、一般傍聴席144席が、また第3会議室は代表団用548席、プレス用48席、一般傍聴席180席がある<ref name="UN" />。
 
=== 事務局ビル ===
{{仮リンク|国連事務局ビル|label=事務局ビル|en|United Nations Secretariat Building}}は39階建ての全高505フィート(154メートル)である。1952年に竣工した<ref>{{cite news
| title=Work Completed on U.N. Buildings
| first=Thomas J. | last=Hamilton
| url=http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F10813F7385E177B93C2A8178BD95F468585F9
| newspaper=The New York Times
| date=October 10, 1953
| page=1
| accessdate=August 7, 2011}}</ref>。このビルには[[国連事務総長]]、{{仮リンク|国連法務部|label=法務局および顧問弁護士|en|United Nations Office of Legal Affairs}}の{{仮リンク|国連事務次長|label=事務次長|en|Under-Secretary-General of the United Nations}}<ref name="leagal">{{cite web
| url=http://untreaty.un.org/ola/div_ousg.aspx?section=ousg
| title=Office of Legal Affairs
| publisher=United Nations
| accessdate=November 26, 2010}}</ref>、{{仮リンク|国連政務部|label=政務部|en|United Nations Department of Political Affairs}}および{{仮リンク|国連軍縮部|label=軍縮部|en|United Nations Office for Disarmament Affairs}}の事務次長<ref name="disarmament">{{cite web
| title=United Nations Disarmament
| url=http://www.un.org/disarmament/HomePage/about_us/odacontact.shtml
| publisher=United Nations
| accessdate=November 26, 2010}}</ref>、および総会および理事会管理部 (Department for General Assembly and Conference Management, DGACM)<ref name="dgacm">{{cite web
| title=DGACM
| url=http://www.un.org/Depts/DGACM/
| publisher=United Nations
| accessdate=November 26, 2010}}</ref>のオフィスが入っている。
 
=== 図書館 ===
[[ファイル:Dag Hammarskjöld Library 0856-2.jpg|thumb|left|280px|図書館ビル。]]
{{仮リンク|ダグ・ハマーショルド図書館|en|Dag Hammarskjöld Library}}は、敷地の南西隅にあり、事務局ビルとつながっている。[[1961年]][[9月17日]]に業務で移動中、飛行機事故で死亡した、時の[[国際連合事務総長]][[ダグ・ハマーショルド]]を記念して、同年11月16日に彼の名前を冠して完成した。建設資金には{{仮リンク|フォード財団|en|Ford Foundation}}から660万ドルの提供を受けた。ウォレス・ハリソンの会社エイブラモヴィッツ・アンド・ハリスが設計を担当し、幅84フィート(約26メートル)、奥行き219フィート(約67メートル)、地上3階・地下3階建となっている。
 
図書館にはおよそ40万巻の書籍のほか、数百万点の国連文書が収蔵されている。地図部門には、8万点以上の地図と1500冊の地図帳がある。定期刊行物書庫には1万点以上の政府公式刊行物と4000点以上の非公式定期刊行物を置いている。そのほか、330紙以上の[[日刊紙]]と225点以上の加盟国の[[官報]]が置かれている。
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=== 屋外 ===
[[ファイル:Japanese Peace Bell of United Nations.JPG|thumb|right|250px|日本から寄贈された平和の鐘。]]
{{see also|:en:United Nations Art Collection}}
 
国連本部の西側正面には、500フィート(約152メートル)以上にわたって192加盟国の[[国旗]]が並んでいる。英語表記のアルファベット順に並んでおり、48番ストリートの[[アフガニスタン]]に始まり、42丁目の[[ジンバブエ]]まで続いている<ref>{{Cite web
| url=http://www.unic.or.jp/untour/subfla.htm