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{{韓国の事物|
title = 民主韓国党 (民韓党)|
hangeul = 민주한국당(민한당)|
hangeul=민주한국당 (민한당)|
hanja = 民主韓國黨 (民韓黨)|
katakana = ミンジュハングクタン (ミナンダン)|
}}
'''民主韓国党'''(みんしゅかんこくとう)とは、[[大韓民国|韓国]]・[[第五共和国 (大韓民国)|第五共和国]]時代の[[保守]][[政党]]。第五共和国初期の最大[[野党]]でもある。略称は民韓党({{lang|ko|민한당}})。
 
== 概要 ==
[[粛軍クーデター]]と[[5・17非常戒厳令拡大措置|5・17クーデター]]で実権を掌握した[[全斗煥]][[大統領 (大韓民国)|大統領]]が制定した「[[政治風土刷新のための特別措置法]]」による政治活動禁止措置の対象外となった旧[[新民党]]穏健派の政治家を主体として[[1981年]][[1月17日]]、ソウル世宗文化会館で結成大会を開催して発足。[[柳致松]]結成準備委員長を初代総裁及び大統領候補に推戴した。平和的政権交代の実現を掲げていたが、[[軍部]]の政治介入を容認させる姿勢を打ち出すなど、親与党的性格が強かったため、サクラ野党とも揶揄された。
 
結成から間もない1981年3月の総選挙では、81議席を獲得し野党第1党となった。しかし、1985年2月の[[国会 (大韓民国)|国会]]議員選挙では、政治活動禁止措置を解除された急進派の政治家達を中心に結成された[[新韓民主党]](新民党)が軍部の政治介入に反対する姿勢を打ち出して躍進したため、民韓党は第2野党に転落する敗北を喫した。しかも、選挙直後から党所属議員の離党と新民党への入党が相次いだため、民韓党は数議席足らずの群小政党に転落した。その後も群小政党としての地位に甘んじる状況が続き、1988年4月に行われた[[第13代総選挙 (大韓民国)|第13代総選挙]]では、当選者を出すことが出来ず政党法の規定により解党された。
 
== 党勢推移 ==
=== 総選挙 ===
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== 参考資料 ==
* 韓国史編纂委員会 [[金容権]]編著『朝鮮韓国近現代史事典 第2版』([[日本評論社]])
* [[金浩鎮]]『韓国政治の研究』[[李建雨]]訳、[[三一書房]]
 
== 関連項目 ==
* [[韓国の政党一覧]]
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{{過去に存在した韓国の政党}}
 
{{Poli-stub}}
{{Korea-stub}}