「鶏冠山 (山梨県甲州市)」の版間の差分

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== 歴史 ==
この鶏冠山の山腹には、かつて中世後期に最盛期があった[[鉱山|金山]]([[黒川金山]])が存在していた。特に[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]においては[[武]]ら金山衆良質の[[]]([[甲州金]])の採掘産出するこの金行い、一帯は「黒川千軒」と呼ばれた鉱を活用街が存在していた。鶏冠山には鶏冠神社が存在し、黒川金山の最盛期同時期の随神像が伝ている。しかし[[甲州征伐|武田氏滅亡]]後、産出量も減少しは黒川金山をはじめ[[江戸時代湯之奥金山]]など領国内から採掘された[[元禄]]期には消滅してを用る。現在金山通貨としての[[遺構甲州金]]は確認出来を生産していたと考えられている。
 
黒川金山は[[甲州征伐|武田氏滅亡]]後に産出量も減少し、[[江戸時代]]の[[元禄]]期には閉山されている。現在、金山の[[遺構]]は確認出来る。
 
== 関連項目 ==