「東大寺大仏殿虹梁」の版間の差分

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2本の虹梁材と24名の乗組員を乗せた観音丸は6月20日に鹿児島津を発ち、翌21日、[[山川港]]に立ち寄った。南風を待って7月5日深夜に出港し、7月12日、兵庫津([[神戸港]])に到着した。虹梁材を船から降ろす際にも船を沈める方法が用いられている。兵庫津から4艘の船に引かれて7月16日に大阪の[[伝法川 (大阪府)|伝法川]]河口に到着した。大阪からは船で虹梁材を挟み、[[淀川]]と[[木津川 (京都府)|木津川]]をさかのぼった。延べ4625人が川岸から綱で船を引く作業に参加し、8月10日、木津([[木津川市]])に到着した。
 
8月19日、木津でそれぞれ2基の台車に乗せられ、東大寺までは市坂(木津川市)と奈良阪([[奈良市]])を越える陸路を人手によって運搬された。虹梁材を引く作業には延べ1万7千人が参加し、周辺には数万の見物人が集まった。運搬の様子は「大仏殿虹梁木曳図」([[明誉古礀]]筆、東大寺蔵)に描かれている。1本目は9月2日、2本目は9月5日に東大寺に搬入された。
 
==その後==