「土佐物語」の版間の差分

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本文中には、大[[鬼]]といった怪異が登場したり、[[文禄・慶長の役|文禄の役]]においては[[大蛇]]が現れるなど、史実とは別に脚色も見られる。また、巻第19「元親卒去 雪蹊寺の事」には、[[慶長]]4年([[1599年]])に[[長宗我部元親]]が[[正四位]]になったと記されているが、史実では死後に[[正五位]]を与えられたものであり<ref>岩原(1997)脚注より</ref>、誤りも含まれる。終盤(巻第19)では、[[長宗我部盛親]]に代わって[[土佐藩]]主となった[[山内一豊]]についての事績や武功、逸話(戦場で得た名槍)などについても記されている。
 
[[大坂の陣]]における見方・批評としては、[[藤堂高虎|藤堂和泉守]]と盛親が対陣し、[[井伊直孝|井伊掃部頭]]が[[木村重成|木村長門守]]と対陣していたが、長門守が突然討死し、掃部頭が高虎と合流したため、盛親は討ち負けしてしまい、「大阪の落城は盛親に始まる」「大阪の負け軍(いくさ)は盛親第一なり」として、敗北の遠因を長宗我部氏に求めている。
 
== 脚注 ==