「ルー・テーズ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
75行目:
[[1986年]]、右臀部を手術する。以後レスラーとしてはセミリタイア状態となった。
 
[[1987年]]11月16日、[[WWE|WWF]]の[[ニュージャージー州]]メドーランド大会でのオールドタイマーズ・[[バトルロイヤル]]に出場、決勝で[[パット・オコーナー]]をオーバー・ザ・トップロープで破り優勝(他の参加選手は、[[ジン・キニスキー]]、[[エドワード・カーペンティア]]、[[ボボ・ブラジル]]、[[クラッシャー・リソワスキー]]、[[キラー・コワルスキー]]、[[ニック・ボックウィンクル]]、[[レイ・スティーブンス]]、[[ペドロ・モラレス]]、[[アーノルド・スコーラン]]、[[アート・トーマス]]、[[チーフ・ジェイ・ストロンボー]]、[[マイケル・シクルナ|バロン・シクルナ]]、[[ジノ・ブリット]]、[[トニー・ガレア]]、[[レネ・グレイ]]、[[ドミニク・デヌーチ]]、[[アル・コステロ]]など)<ref>{{cite web|url=http://www.cagematch.net/?id=1&nr=9034|title=Events Database: WWF House Show|accessdate=2014-11-30|publisher=Cagematch.net}}</ref>。
 
[[1988年]]頃、[[セッド・ジニアス]]の弟子入りに伴い、[[バージニア州]][[ノーフォーク]]でレスリングスクールを開校。日本人でも[[北尾光司]](元[[横綱]]双羽黒)、[[蝶野正洋]]、[[田村潔司]]が入門するも、セッド・ジニアスからコーチ料を月額7000ドル、総額約1千万円も大金を取りながら、自分ではほとんど教えなかったという新人育成に関する問題が発生した。