「ドリス・ハート」の版間の差分

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ドリス・ハートにとって、最後の壁は[[全米オープン (テニス)|全米選手権]]女子シングルスのタイトルであった。ここでも彼女は何度も苦杯をなめ、[[1949年全米テニス選手権|1949年]]と[[1950年全米テニス選手権|1950年]]、[[1952年全米テニス選手権|1952年]]と[[1953年全米テニス選手権|1953年]]に4度の準優勝に甘んじていた。とりわけ、1952年と1953年の決勝では2年連続で[[モーリーン・コノリー]]に敗れ、[[1953年全米テニス選手権|1953年全米選手権]]の決勝では 2-6, 4-6 で敗れたハートが、コノリーによる女子テニス史上初の「[[グランドスラム (テニス)|年間グランドスラム]]」を目撃した。ところが、[[1954年]]の[[1954年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン選手権]]優勝で4大大会女子シングルス通算「9勝」を記録したコノリーが、全米選手権の開幕直前に落馬事故で選手生命を絶たれてしまう。コノリーの事故の後、ハートは[[1954年]]の[[1954年全米テニス選手権|全米選手権]]で女子シングルス初優勝を果たし、長年の壁だった[[ルイーズ・ブラフ]]を 6-8, 6-1, 8-6 で破り、最後の難関を乗り越えた。これで、ハートはテニス4大大会の3部門すべてに「[[グランドスラム (テニス)|キャリア・グランドスラム]]」を完成させた。これをテニス界では「ボックス・セット」(Boxed Set)と呼ぶ。ハートの優勝記録は[[1955年]]にすべて幕を閉じたが、これで[[1947年]]から積み上げてきたタイトルの数は総計「35勝」となった。幼少期の難病と多くの先輩選手たちの厚い壁を乗り越えたドリス・ハートは、[[1969年]]に[[国際テニス殿堂]]入りを果たしている。
引退後、1993年に勁部を傷めるまでは28年間ティーチングプロを務め、2010年頃には視力が落ちてほとんど周りが見えなくなってしまい、2015年5月29日に自宅で逝去したとの一報が[[AP通信]]に国際テニス殿堂から入った。享年 89歳。
 
== 4大大会優勝 ==
* [[全豪オープン|全豪選手権]] 女子シングルス:1勝(1949年)/女子ダブルス:1勝(1950年)/混合ダブルス:2勝(1949年&1950年)