「ドリス・ハート」の版間の差分

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|誕生日=[[1925年]][[6月20日]]
|没年日={{死亡年月日と没年齢|1925|6|20|2015|5|29}}
|死没地=[[フロリダ州]]
|身長=
|体重=
|ダブルス最高=
}}
'''ドリス・ハート'''('''Doris Hart''', [[1925年]][[6月20日]] - [[2015年]][[5月29日]] )は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ミズーリ州]][[セントルイス]]出身の女子[[テニス]]選手。[[第二次世界大戦|第2次世界大戦]]の終戦直後の時代に活躍し、[[1940年代]]後半から[[1950年代]]前半にかけて、テニス4大大会の女子シングルス・女子ダブルス・混合ダブルスの3部門すべてに「[[グランドスラム (テニス)|キャリア・グランドスラム]]」を達成した名選手である。女子シングルスで総計6勝、女子ダブルスで総計14勝、混合ダブルスで総計15勝を挙げ、生涯で「35」のグランドスラム・タイトルを獲得した。幼少期に患った足の病気をものともせず、頭脳的で安定したオールラウンド・プレーヤーとして一世代をリードした。フルネームは ''Doris Jane Hart'' (ドリス・ジェーン・ハート)という。
 
ドリス・ハートは幼少時代に深刻な膝の感染症を患い、「このままでは身体障害者になるおそれがある」と診断されたことから、治療のために6歳から[[テニス]]を始めた。当時の医学上の診断では、彼女の病気は「[[急性灰白髄炎|小児麻痺]]」と言われた。(後に、この診断は誤りであると分かった。)病気の影響のため、彼女の足は“弓のように曲がり、動きがおぼつかなく見える”外見になったが、それにもめげず回復してテニス選手になることができた。早くも[[第二次世界大戦|第2次世界大戦]]中の[[1942年]]、ハートは17歳で[[1942年全米テニス選手権|全米選手権]]の女子ダブルス決勝に初進出を果たす。当時の全米選手権では、[[マーガレット・オズボーン・デュポン|マーガレット・オズボーン]]と[[ルイーズ・ブラフ]]組が[[1942年全米テニス選手権|1942年]]から[[1950年全米テニス選手権|1950年]]まで女子ダブルス部門に「9連覇」中で、その期間中にハートは7度の女子ダブルス準優勝の壁にぶつかった。
 
ドリス・ハートにとって、最後の壁は[[全米オープン (テニス)|全米選手権]]女子シングルスのタイトルであった。ここでも彼女は何度も苦杯をなめ、[[1949年全米テニス選手権|1949年]]と[[1950年全米テニス選手権|1950年]]、[[1952年全米テニス選手権|1952年]]と[[1953年全米テニス選手権|1953年]]に4度の準優勝に甘んじていた。とりわけ、1952年と1953年の決勝では2年連続で[[モーリーン・コノリー]]に敗れ、[[1953年全米テニス選手権|1953年全米選手権]]の決勝では 2-6, 4-6 で敗れたハートが、コノリーによる女子テニス史上初の「[[グランドスラム (テニス)|年間グランドスラム]]」を目撃した。ところが、[[1954年]]の[[1954年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン選手権]]優勝で4大大会女子シングルス通算「9勝」を記録したコノリーが、全米選手権の開幕直前に落馬事故で選手生命を絶たれてしまう。コノリーの事故の後、ハートは[[1954年]]の[[1954年全米テニス選手権|全米選手権]]で女子シングルス初優勝を果たし、長年の壁だった[[ルイーズ・ブラフ]]を 6-8, 6-1, 8-6 で破り、最後の難関を乗り越えた。これで、ハートはテニス4大大会の3部門すべてに「[[グランドスラム (テニス)|キャリア・グランドスラム]]」を完成させた。これをテニス界では「ボックス・セット」(Boxed Set)と呼ぶ。ハートの優勝記録は[[1955年]]にすべて幕を閉じたが、これで[[1947年]]から積み上げてきたタイトルの数は総計「35勝」となった。幼少期の難病と多くの先輩選手たちの厚い壁を乗り越えたドリス・ハートは、[[1969年]]に[[国際テニス殿堂]]入りを果たしている。
 
引退後、1993年に勁部を傷めるまでは28年間ティーチングプロを務め、2010年頃には視力が落ちてほとんど周りが見えなくなってしまってた。2015年5月29日に[[フロリダ州]]の自宅でしたとの一報が[<ref>[AP通信http://www.nikkansports.com/sports/news/1485473.html ハートさんが死去 4大大会全ての単、複、混でV]]に国際テニ 日刊殿堂から入った。享年 ポーツ 2015年5月31日</ref>。89歳
 
== 4大大会優勝 ==
* [[ウィンブルドン選手権]] 女子シングルス:1勝(1951年)/女子ダブルス:4勝(1947年・1951年-1953年)/混合ダブルス:5勝(1951年-1955年)
* [[全米オープン (テニス)|全米選手権]] 女子シングルス:2勝(1954年&1955年)/女子ダブルス:4勝(1951年-1954年)/混合ダブルス:5勝(1951年-1955年)
 
== 脚注 ==
<references/>
 
== 外部リンク ==
* {{ITHF|doris-hart|ドリス・ハート}}
[[Category:セントルイス出身の人物]]
[[Category:1925年生]]
[[Category:存命人物2015年没]]