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== 草加市立病院をめぐる対応 ==
[[草加市立病院]]が医師不足で産婦人科を休止した経緯を草加市長として報告(産婦人科医・小児科医不足を考えるシンポジウム)<ref>[http://books.google.co.jp/books?id=NEiBC7g_EFMC&pg=PA79&lpg=PA79&dq=%E6%9C%A8%E4%B8%8B%E5%8D%9A%E4%BF%A1+%E8%8D%89%E5%8A%A0%E5%B8%82%E7%AB%8B%E7%97%85%E9%99%A2&source=bl&ots=ZFanjZu4dn&sig=9lyzRHTTQ56dQERHeuKwD5YKUxE&hl=ja&sa=X&ei=VGB3Uo64IYSolQWk34CwBw&ved=0CEAQ6AEwAw#v=onepage&q=%E6%9C%A8%E4%B8%8B%E5%8D%9A%E4%BF%A1%20%E8%8D%89%E5%8A%A0%E5%B8%82%E7%AB%8B%E7%97%85%E9%99%A2&f=false 埼玉:岐路に立つ地域の医療]Google ブックス79頁</ref>。<br />
草加市立病院の産科は医師5人体制で行なっていたが、退職により05年3月には担当医が3人になってしまったため、当直勤務などを含む安全な[[医療]]を遂行出来なくなり、やむなく休止された<ref>[http://www.tobuyomiuri.co.jp/colum/backnumber/200610/20070122.html 草加市立病院 医師が集まらず]東武よみうりウェブ版</ref>。05年10月に就任した高元院長は木下草加市長と協力して、07年10月には医師五人を集め、産科を産婦人科として復活させた。
<ref>[http://www.tobuyomiuri.co.jp/colum/backnumber/200610/20070122.html 草加市立病院 医師が集まらず]東武よみうりウェブ版</ref>05年10月に就任した高元院長は木下草加市長と協力して、07年10月には医師五人を集め、産科を産婦人科として復活させた。
待機児童問題の解決を図る為、[[草加市]]の保育施設の建て替えや認可保育園の誘致を行い、受入可能な園児数を増加させた。