「アニー・ホール」の版間の差分

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『'''アニー・ホール'''』(''Annie Hall'')は、[[1977年]]制作の[[アメリカ合衆国の映画|アメリカ映画]]。[[ウディ・アレン]]監督によるロマンスコメディ。脚本は[[マーシャル・ブリックマン]](marshall[[:en:Marshall brickman)Brickman|(Marshall Brickman)]]との共同執筆。ウディ・アレン作品のなかで最も人気があるものの1つ。作品公開当時は、[[アカデミー賞]]をふくむ数々の賞を受賞した。[[2002年]]、[[ロジャー・イーバート]]は「おそらく誰もが好きなウディ・アレン映画だ」と述べている。ウディ・アレンは以前はコメディの作り手として知られていたが、『アニー・ホール』を監督したのは彼にとって大きな転機となり、作品にまじめさが加わったといわれる。
 
長い会話や、[[長回し]]、陽気さと傷心にテーマをおくなどの、現在までに至るアレン映画のスタイルを確立した作品。
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この映画はニューヨークとロサンゼルスに舞台を置く。
 
ウディ・アレンは死に取りつかれた[[コメディアン]]、アルビー・シンガーを演じる。明るい性格のアニー・ホール([[ダイアン・キートン]])との関係を保とうとしている。2人の数年にわたる関係が語られ、それぞれの過去にあった様々な出来事を途中に挟みながら進行する(アニーはアルビーが子供のころの家族を「見る」ことができ、アルビーも同様にアニーの過去の恋人とのやりとりを観察している)。彼は[[ブルックリン区|ブルックリン]]で育ち、彼の父はバンパーカー(bumper[[:en:Bumper cars|( bumper cars)]]の営業をしていて、彼の家は[[コニーアイランド]]のローラーコースターの下にあることが、アルビーの回想場面からわかる。
 
数年後、口論と仲直りが何度も続き、自分たちは相性がわるいし、別れるだろうと2人は悟る。アニーはハリウッドレコード会社の経営者([[ポール・サイモン]])のもとに引っ越してしまう。アルビーは結局、未だに彼女を愛していることに気付き、ニューヨークの自分の所に戻ってくるよう説得するが、うまくいかない。あきらめたアルビーは自分たちの関係について芝居を書くためにニューヨークに戻る。この芝居のエンディングは、彼が彼女を取り戻すのに成功するというものだった。のちに彼らは友人として良好な関係で再会し、そのとき2人にはすでに別の恋人がいた。愛と人の関係はしばしば痛みをともない、複雑なものにもかかわらず、誰もが必要としているのだと思いを巡らせながら、アルビーは映画を終わらせる。
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== 制作 ==
この映画の制作上のタイトルは『[[:en:Anhedonia|Anhedonia]]』(これは日本語で無快感症や快感喪失と訳される[[精神医学]]用語で、普通なら楽しいはずの生活で快感を体験できないという意味の言葉)だが、このタイトルでは売れないとみなされ、ブリックマンが『It Had to Be Jew』という別の提案をした。最終的に、公開タイトルとして『アニー・ホール』の名に決定された。アルビーとウディ・アレンの性格が似ており、またウディ・アレンと以前関係があったダイアン・キートン(アニー・ホール役)の本名はダイアン・ホールでニックネームがアニーであることから、『アニー・ホール』は半ば自伝風の作品だと広く信じられたが、ウディ・アレンはこれを否定している。
 
この映画は元は殺人ミステリーを中心にして、わきの筋にコメディとロマンスをいれたドラマにするつもりで、そのように撮影された。アレンによると、アルビーとアニーが[[イングマール・ベルイマン]]の『[[鏡の中の女]]』(''[[:en:Ansikte mot ansikte|Ansikte mot ansikte]]'')を見逃した[[シークエンス]]で、殺人が起こったのだが、映画編集者がミステリーの部分をカットしようとアレンを説得し、映画をロマンスコメディにした(アレンは殺人ミステリー映画を後年制作した。[[1993年]]の『[[マンハッタン殺人ミステリー]]』であり、ダイアン・キートンも主演している)。
 
この映画の製作は半ば即興的に行われた。例えば、元々の台本では、アルビーはローラーコースターの下にある家で育ったわけではない。しかし、撮影場所を探しながら、アレンがスタッフとブルックリンをドライブしていたとき、ローラーコースターの下にある家を見つけ、撮影に使われた。この「家」は、実際にはケンシントン・ホテルで、サンダーボルト・ローラーコースターの下に位置していた。他の例では、アルビーがコカインにくしゃみするシーンがあり、これは全くの偶然だったが、アレンがそのまま映画に使うことを決めた。この場面を試写したとき、観客は大笑いだったので、アレンはこの場面を加えることにした。
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[[イングマール・ベルイマン]]と[[フェデリコ・フェリーニ]]はともにアレンが敬愛する映画作家であり、本作においてもその影響が窺える。
 
アルビーとアニーとロブが、アルビーの子供のころを訪ねるシーンは、ベルイマンの非常に有名で賞賛されている作品、『[[野いちご]]』(''Smultronstället[[:en:Smultronställe|Smultronställe]]t'')で使用されている物語手法である。アレンは『ウディ・アレンの重罪と軽罪』でもこのテクニック使っている。登場人物のJudahが子供時代を訪ね、彼が犯した犯罪について倫理的な質問を父にする。同様に、学校のシーンは、『[[フェリーニのアマルコルド]]』(''[[:en:Amarcord|Amarcord]]'')などのフェリーニ作品の影響を受けているとされる。
 
映画には[[BGM]]が僅かしか用いられていない。音楽のいくつかの例をあげると、[[ロサンジェルス]]でドライブしているとき少年合唱団の[[クリスマス・キャロル]]『世の人忘るな』、アニーとアルビーが田園地帯をドライブするとき[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の[[交響曲第41番 (モーツァルト)|交響曲第41番]]『[[交響曲第41番 (モーツァルト)|ジュピター]]』の第4楽章の一部などが使用されている。また、アニーがジャズクラブで歌うシーンがあり、その歌はラストシーンで繰り返される。また、ポール・サイモンが演じる人物の大邸宅で行なわれたパーティでは[[サヴォイ・ブラウン]]『A Hard Way to Go』が演奏されている。