「有吉佐和子」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Macinchan (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
19行目:
| children = [[有吉玉青]]
}}
'''有吉 佐和子'''(ありよし さわこ、[[1931年]]([[昭和]]6年)[[1月20日]] - [[1984年]](昭和59年)[[8月30日]])は、[[日本]]の[[小説家]]、[[劇作家]]、[[演出家]]。[[和歌山県]][[和歌山市]]出身。日本の歴史や古典芸能から現代の社会問題まで広いテーマをカバーし、読者を惹きこむ多くの[[ベストセラー]]小説を発表した。[[カトリック教会|カトリック]]教徒で、洗礼名はマリア=マグダレーナといった。代表作は『[[紀ノ川 (小説)|紀ノ川]]』、『[[華岡青洲の妻]]』、『[[恍惚の人]]』など。娘にエッセイストの[[有吉玉青]]がいる。正確には「吉」の字は下が長いのだが、小説を書いていた頃には活字がなかった<ref name=”sobochan”>有吉玉青『ソボちゃん』([[平凡社]][[2014年]])。</ref>
 
== 経歴 ==
[[長州藩]]士[[有吉熊次郎]]は曽祖父にあたる。[[横浜正金銀行]]勤務の父の赴任に伴い、小学校時代を旧[[オランダ領東インド]]の[[バタヴィア]]および[[スラバヤ]]で過ごした
 
佐和子の母・秋津については孫の玉青の『ソボちゃん』に詳しいが、明治37年([[1904年]])に和歌山の庄屋の家に生まれ、旧姓は木本といい、父親は政治家だった。たいそうな大女で結婚条件は自分より背が高いことだった。こうして[[横浜正金銀行]]に勤めていた180cmの[[東男]]・有吉眞次に嫁ぎ、お手伝いを連れて上京した。佐和子の身長は165cmあった<ref name=”sobochan”>有吉玉青『ソボちゃん』([[平凡社]][[2014年]])。</ref>。横浜正金銀行勤務の父の赴任に伴い、小学校時代を旧[[オランダ領東インド]]の[[バタヴィア]]および[[スラバヤ]]で過ごした。
 
[[1941年]]に帰国後、東京市立第四高女(現・[[東京都立竹台高等学校|都立竹台高校]])から[[疎開]]先の和歌山高女(現・[[和歌山県立桐蔭中学校・高等学校|和歌山県立桐蔭高校]])へ。その後、[[光塩女子学院|光塩高女]]を経て、府立第五高女(現・[[東京都立富士高等学校|都立富士高校]])卒業。[[東京女子大学]]英文学科に入学したが休学後[[1952年]]同短期大学部英語学科卒業。[[大蔵省]]外郭団体の職員を経て舞踊家[[吾妻徳穂]]の秘書となる。