「源行家」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
29行目:
 
=== 挙兵 ===
甥の[[源頼朝]]に決起を促したのも行家であるが、頼朝の麾下には入らず独立勢力を目指したため不和となる。[[養和]]元年([[1181年]])、甥の[[義円|源義円]]らと共に[[尾張国]]の[[墨俣川の戦い]]、[[三河国]][[矢作川]]の戦いで二回に亘り[[平重衡]]ら平家方と交戦。壊滅的な敗北を喫し、頼朝のもとに逃れて[[相模国]][[松田町|松田]]に住み着いた。しかし、頼朝に所領を求めるも拒否されたため対立、以降は甥の[[源義仲]]の幕下に走っている<ref>行家と[[志田義広]]を庇護したことで義仲と頼朝は一時武力衝突寸前となったが、両者の話し合いで義仲の嫡子・[[源義高|義高]]を頼朝の長女・[[大姫]]の婿として鎌倉に送る事でひとまず和議が成立した。</ref>。義仲の下では[[能登国]]・[[越中国]]国境での[[志保山の戦い]]に参加、上洛に当たっては伊賀方面から進攻し[[平家継]]と合戦を演じた(『[[吉記]]』)。
 
=== 入京 ===