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{{出典の明記|date=2015年6月}}
{{競走馬|
|名 = サイレントディール
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|種 = [[サラブレッド]]
|生 = {{生年月日と馬齢|p=0|2000|3|19}}
|死 = (存命)
|父 = [[サンデーサイレンス]]
|母 = フェアリードール
|産 = [[ノーザンファーム]]
|国 = {{JPN}}([[北海道]][[勇払郡]])
|主 = [[金子真人]]<br />→ 金子真人ホールディングス(株)
|調 = [[池江泰郎]]([[栗東トレーニングセンター|栗東]])
|厩 = 市川明彦
|績 = 49戦7勝
|金 = 中央2億7044万1000円<br />地方4800万円
}}
 
'''サイレントディール'''は[[日本]]の元[[競走馬]]である。{{要出典範囲|当歳[[セレクトセール]]において1億1000万円で[[金子真人]]が購入した。芝・[[ダート]]問わず、8歳まで中距離路線で息の長い活躍を見せた。2003年[[シンザン記念]]、同年[[武蔵野ステークス]](いずれもGIII)、2007年[[佐賀記念]](交流GIII)の勝ち馬。全姉に[[エリザベス女王杯]]優勝の[[トゥザヴィクトリー]]がいを持ち、芝とダートで[[日本中央競馬会|JRA]]重賞を勝利した唯一の[[サンデーサイレンス]]産駒である。|date=2015年6月}}
 
== 戦績生産 ==
[[北海道]][[安平町]]早来の[[ノーザンファーム]]で2000年3月19日に生まれる。父は前年まで5年連続チャンピオンサイアーの[[サンデーサイレンス]]、母フェアリードールは1991年生の[[アメリカ合衆国|アメリカ]]産馬([[イギリス]]出走馬)で、全姉に[[エリザベス女王杯]]優勝馬の[[トゥザヴィクトリー]]がいた<ref name="furusato">{{cite web|url=http://uma-furusato.com/i_search/detail_horse/_id_0000701785|title=サイレントディール|publisher=競走馬のふるさと案内所|accessdate=2015-06-08}}</ref>。トゥザヴィクトリーの全弟として注目を集めたサイレントディールは同年7月に開催された[[セレクトセール]]に「フェアリードールの2000」として上場され、図研社長の[[金子真人]]に1億1550万円で落札された<ref name="furusato" /><ref>{{cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000701785/|title=サイレントディール|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2015-06-08}}</ref>。
=== 2002年 ===
{{要出典範囲|[[2002年]][[9月15日]]の[[新馬|新馬戦]]でデビュー。緒戦を楽に勝ちあがると、陣営からは「三冠レース」を戦える馬、という高い評価が聞かれた。のちにクラシックをともに戦うことになる武豊を鞍上に迎えた萩ステークスでは、5着に入線。次走の黄菊賞(500万下)を勝ち、[[朝日杯フューチュリティステークス]]に出走。3番人気に推されたレースでは、積極的にハナに立ったものの[[マイネルモルゲン]]との競り合いになってしまった。ここでは[[エイシンチャンプ]]の8着に敗れ、4戦2勝で2歳戦を終えた。|date=2015年6月}}
 
=== 2003年競走馬時代 ===
=== 2歳戦からクラシック ===
{{要出典範囲|[[2003年]]年明けは[[シンザン記念]]から始動。ここでは1番人気に応えて好位から抜け出し、重賞初制覇を飾る。次走の[[きさらぎ賞]]はクラシックを見据えて初めて後方からの競馬を体験。出走馬中1位の上がり3F34.8の末脚を繰り出したが、結果は2着であった<ref group="注">その時の勝ち馬はのちの二冠馬である[[ネオユニヴァース]]であった。</ref>。そしてクラシック第1弾の[[皐月賞]]へ出走。ここでも後方からレースを進めたが、前を捉えられず6着に終わった。次走の[[東京優駿]]も後方から良く伸びたが、4着に敗戦。|date=2015年6月}}
2002年、[[栗東トレーニングセンター|栗東]]の[[池江泰郎]]厩舎へ入厩。同年9月15日、[[阪神競馬場]]で行われた[[新馬|新馬戦]]でデビューした。[[中館英二]]騎乗のサイレントディールは、この芝1600mのレースを1番人気で逃げ切り、2着メイショウマルスに2馬身半差をつけて勝利した<ref>{{cite web|url=http://db.netkeiba.com/race/200209040405/|title=2歳新馬 2002年09月15日|publisher=netkeiba|accessdate=2015-06-08}}</ref>。続く[[武豊]]が騎乗した萩ステークス([[京都競馬場|京都]]・芝1800m)では5着に敗れるが、同条件の黄菊賞(500万下、[[上村洋行]]騎乗)を2番手からの競馬で勝利する<ref>{{cite web|url=http://db.netkeiba.com/race/200208050309/|title=黄菊賞|2002年11月09日|publisher=netkeiba|accessdate=2015-06-08}}</ref>。12月8日の[[朝日杯フューチュリティステークス]]で重賞初出走。武豊騎乗の3番人気サイレントディールは、強力な先行馬が不在の中でハナを主張するが、同じく掛かり気味に先行したマイネルモルゲンと1000m通過56.9秒のハイペースを作り出したのちに失速<ref>{{cite web|url=http://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=1840|title=重賞レース回顧: 朝日杯フューチュリティS|author=柏木集保|publisher=netkeiba|accessdate=2015-06-08}}</ref>。勝った[[エイシンチャンプ]]から0.9秒差の8着に敗れた<ref>{{cite web|url=http://db.netkeiba.com/race/200206050411/|title=朝日杯FS|2002年12月08日|publisher=netkeiba|accessdate=2015-06-08}}</ref>。
 
2003年1月12日、サイレントディールは1番人気に推された[[シンザン記念]]で重賞初勝利を挙げる。道中6番手追走からスローの流れに乗り、早めのスパートから2着マッキーマックスをクビ差で抑えた<ref>{{cite web|url=http://db.netkeiba.com/race/200308010411/|title=日刊スポシンザン記念|2003年01月12日|publisher=netkeiba|accessdate=2015-06-08}}</ref><ref name="shinzan" />。前半47.9-後半46.9秒のレースラップと1分34秒8の勝ち時計は、前年の勝ち馬であり[[東京優駿|ダービー]]馬、[[タニノギムレット]]のそれと全く同じ数字だった<ref name="shinzan">{{cite web|url=http://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=1909|title=重賞レース回顧: シンザン記念|author=柏木集保|publisher=netkeiba|accessdate=2015-06-08}}</ref>。この時点で陣営は[[ドバイ]]で行われる[[UAEダービー]]出走のプランを持っていた<ref>{{cite web|url=http://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=1930|title=混沌とした牡馬戦線|author=長岡一也|date=2003-02-18|publisher=netkeiba|accessdate=2015-06-08}}</ref>。続く[[きさらぎ賞]]は重馬場の中、後方からの競馬で3番人気[[ネオユニヴァース]]の2着<ref name="kisaragi">{{cite web|url=http://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=1993|title=重賞レース回顧: きさらぎ賞|author=柏木集保|publisher=netkeiba|accessdate=2015-06-08}}</ref>。この後、サイレントディールは有力馬の一頭としてクラシックへ向かうが、[[皐月賞]]、[[東京優駿|日本ダービー]]ともにネオユニヴァースの6着、4着に敗れた。馬の評価には常に激しい気性からくる折り合い面への不安が伴い、武豊はのちに「今にして思えば、2400mでよく折り合ったものだ」とダービーを回顧している<ref name="kisaragi" /><ref>{{cite web|url=https://www.keibado.ne.jp/keibabook/030602/photo02.html|title=PHOTOパドック: サイレントディール|author=|date=|publisher=競馬ブック|accessdate=2015-06-08}}</ref><ref>{{cite web|url=http://uma-jin.net/pc/column/columnDetail.do?charaId=52&pcId=100062|title=武豊/ダービーのすべてを語ろう|author=|date=2011-01-28|publisher=月刊UMAJIN|accessdate=2015-06-08}}</ref>。その後、6月には3歳馬ながら[[宝塚記念]]へ出走するが、[[ヒシミラクル]]の10着に敗れた<ref>{{cite web|url=http://db.netkeiba.com/race/200309030411/|title=宝塚記念|2003年06月29日|publisher=netkeiba|accessdate=2015-06-08}}</ref>。
{{要出典範囲|その後は3歳馬ながら[[宝塚記念]]に出走したが10着だった。夏場の調整に手間取って、菊花賞とそのトライアルを回避した陣営は、ダート路線に活路を求める。ダート初経験の[[武蔵野ステークス]]を快勝して重賞2勝目をマークすると、[[ジャパンカップダート]]では2番人気に推された。しかし初めて砂をかぶってしまったこともあって、結果は7着とふるわなかった。次走の[[東京大賞典]]も1番人気に応えられず、7着に敗れている。|date=2015年6月}}
 
=== 2004年ダート転向 ===
秋は調整の遅れから[[菊花賞]]を回避し、池江はサイレントディールをダート重賞の[[武蔵野ステークス]]へ登録する<ref name="nikkei1">{{cite web|url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-121496.html|title=【JCダート】栗東レポート〜サイレントディール|author=|date=2003-11-26|publisher=ラジオNIKKEI|accessdate=2015-06-08}}</ref>。レースでは4角を2番手で曲がると一気に突き放し、2着[[ハギノハイグレイド]]に4馬身差をつけて勝利<ref>{{cite web|url=https://www.jrha.or.jp/news/index_2003.html|title=衝撃のダートデビュー!サイレントディール武蔵野S圧勝|author=|date=2013-11-04|publisher=日本競走馬協会|accessdate=2015-06-08}}</ref>。池江は精神面の成長を評価した<ref name="nikkei1" />。続く[[ジャパンカップダート]]では2番人気に推されたが、先団追走も直線伸びず、アメリカ馬[[フリートストリートダンサー]]の7着に敗れた<ref name="nikkei2" />。騎手の[[オリビエ・ペリエ]]は「今日は返し馬からノメっていた。馬場が全て」と雨の影響が見えた馬場に敗因を求めた<ref name="nikkei2">{{cite web|url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-145396.html|title=11月29日(土)「JCダートは米・フリートストリートダンサーが4cm差V」|author=|date=2003-12-01|publisher=ラジオNIKKEI|accessdate=2015-06-08}}</ref>。ペリエとサイレントディールのコンビは、次走の[[東京大賞典]]も1番人気に応えられず、7着に敗れている<ref>{{cite web|url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-145426.html|title=12月29日(月)「東京大賞典はスターキングマン圧勝」|author=|date=2003-12-29|publisher=ラジオNIKKEI|accessdate=2015-06-08}}</ref>。
{{要出典範囲|[[2004年]]は初戦からダートの大一番、[[フェブラリーステークス]]に出走した。ここで当時のダート王者であった[[アドマイヤドン]]に半馬身差まで詰め寄り、2着に好走する。その結果が評価されて、姉のトゥザヴィクトリーも挑んだ[[ドバイワールドカップ]]に挑戦した。本番では武豊を背に臨むも、かかる仕草を見せて[[プレザントリーパーフェクト]]から10秒近くも遅れ、11着馬からも13馬身離されてしまう最下位の12着に大敗する。帰国初戦に宝塚記念を選択するが、ここでも7着に敗れ、年内は休養に入った。|date=2015年6月}}
 
2004年2月、サイレントディールは[[ドバイミーティング]]の3競走([[ドバイワールドカップ|ワールドカップ]]、[[ドバイデューティーフリー|デューティーフリー]]、[[ドバイシーマクラシック|シーマクラシック]])へ登録され、シーマクラシック出走馬に選出された<ref>{{cite web|url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-122720.html|title=【ドバイWCデイ】諸競走へ新たに日本馬4頭選出|author=|date=2004-02-06|publisher=ラジオNIKKEI|accessdate=2015-06-08}}</ref>。ドバイへ向けたステップとなる[[フェブラリーステークス]]は内で揉まれる厳しい競馬になったが、直線伸びて[[アドマイヤドン]]の2着に好走<ref>{{cite web|url=http://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=2890|title=重賞レース回顧: フェブラリーステークス|author=柏木集保|publisher=netkeiba|accessdate=2015-06-08}}</ref>。レース後、新たにワールドカップへの招待が発表された。結果的にレースには武豊が騎乗したが、オリビエ・ペリエは「この馬には2400mのシーマクラシックは気性的に苦しい。出られるならワールドカップの方が力は出せるだろう」と出走を熱望していた<ref>{{cite web|url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-123121.html|title=【ドバイ国際競走】サイレントディール、ドバイワールドカップへ |author=|date=2004-03-01|publisher=ラジオNIKKEI|accessdate=2015-06-08}}</ref>。
=== 2005年以降 ===
{{要出典範囲|[[2005年]]は大阪城ステークス(オープン特別)から始動。[[大阪杯]]3着をはさんで臨んだ3走目の[[オーストラリアトロフィー]]で、1番人気に応えてひさびさの勝利を挙げた。しかしその後の[[エプソムカップ]]では4着、[[宝塚記念]]では14着と勝ち星を挙げられず、[[12月]]の春待月ステークスの2着が最高着順であった。|date=2015年6月}}
 
3月27日、サイレントディールは、アドマイヤドン、[[リージェントブラフ]]の日本馬2頭と共にワールドカップへ出走した。枠順は12頭立ての6番、サイレントディールは7番人気だった<ref>{{cite web|url=http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=5518|title=ドバイワールドC、出馬表確定|author=|date=2004-03-26|publisher=netkeiba|accessdate=2015-06-08}}</ref>。レース前、池江は馬の状態や馬場との相性に自信を見せていたが<ref>{{cite web|url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-123407.html|title=ドバイWC<1週前>栗東レポート〜サイレントディール |author=|date=2004-03-17|publisher=ラジオNIKKEI|accessdate=2015-06-08}}</ref>、スタートで躓き落馬寸前となり、終始後方のまま勝ち馬[[プレザントリーパーフェクト]]から10秒以上離された最下位に沈んだ<ref>{{cite web|url=http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=5535|title=ドバイワールドC、日本馬3頭は敗退|author=|date=2004-03-27|publisher=netkeiba|accessdate=2015-06-08}}</ref><ref>{{cite web|url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-123622.html|title=【ドバイ・ワールドカップ】日本馬陣営のコメント|author=|date=2004-03-27|publisher=netkeiba|accessdate=2015-06-08}}</ref>。
{{要出典範囲|[[2006年]]は[[平安ステークス]]から始動したが、いずれも掲示板を確保することができず、最初の勝ち星は5走目となった[[6月]]のブリリアントステークス。鞍上[[内田博幸]]に追われひさびさの勝利を飾った。さらに[[帝王賞]]では2強の[[アジュディミツオー]]、[[カネヒキリ]]には離されてしまうものの3着と復調の兆しを見せた。しかし芝に戻った[[小倉記念]]で10着に敗れると、その後は阿蘇Sで3着、トパーズSで4着など、オープン特別でも勝ちきれなかった。|date=2015年6月}}
 
=== 2002年 ===
{{要出典範囲|[[2007年]]は[[日経新春杯]]から始動したが、11着と大敗する。しかし次走の[[佐賀記念]]ではスタートしてから一旦控えるものの、ペースが遅いと見るや1周目のスタンド前で先頭に立つ鞍上武豊の好判断もあって、そのままレコードタイムで押し切り、久々の重賞3勝目を挙げた。続く[[ダイオライト記念]]でも同様に向こう正面で先頭に立ったが、最後の直線では粘りきれず4着に敗れた。レース後は放牧に出され、11月に帰厩し、12月にダートの師走ステークスで実戦に復帰したが、7着。続くベテルギウスステークスでも11着だった。|date=2015年6月}}
ドバイからの帰国後、サイレントディールが再び重賞を勝利するまでには3年の時間を要した。2005年は芝の中距離路線で走り、4月23日のオープン特別[[オーストラリアトロフィー]]に勝利した<ref>{{cite web|url=http://db.netkeiba.com/race/200508030111/|title=オーストラリアT|2005年04月23日|publisher=netkeiba|accessdate=2015-06-08}}</ref>ほか、6月12日の[[エプソムカップ]](4着)では1番人気の支持を集めた<ref>{{cite web|url=http://db.netkeiba.com/race/200505030811/|title=エプソムカップ|2005年06月12日|publisher=netkeiba|accessdate=2015-06-08}}</ref>。2005年秋以降は芝・ダートを問わず走り、2007年の[[佐賀記念]]で3年3か月ぶりの重賞勝利を飾っている<ref name="nikkei3">{{cite web|url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-146573.html|title=佐賀記念(GIII)はサイレントディール、3年3ヶ月ぶりの重賞制覇! |author=|date=2007-02-12|publisher=ラジオNIKKEI|accessdate=2015-06-08}}</ref>。このレース、サイレントディールは中断追走からペースが落ちた1周目のスタンド前で一気に先頭へ進出、迫る[[クーリンガー]]を半馬身抑えてレコードタイムで勝利した<ref name="nikkei3" />。佐賀記念後の勝利はなく、2008年12月13日、ダート2000mのベテルギウスステークス13着を最後に、12月16日付けで登録を抹消された<ref>{{cite web|url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/entry-160368.html |title=トゥザヴィクトリーの弟サイレントディールが登録抹消 |author=|date=2008-12-14|publisher=ラジオNIKKEI|accessdate=2015-06-08}}</ref>。JRA、地方、海外を走り、50戦7勝。芝とダートのJRA重賞を勝利した唯一のサンデーサイレンス産駒である<ref>{{cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/gamble/yomimono/bloodtopic/kiji/K20120808003856610.html|title=【新種牡馬紹介(4)】ディール産駒に二刀流伝える|publisher=スポーツニッポン|accessdate=2015-06-08}}</ref>。
 
{{要出典範囲|[[2008年]]は約1年ぶりの芝レースとなる[[京都金杯]]から始動し、11着。次走は、2007年に制した佐賀記念を武豊で予定していたが、[[2月9日]]の京都競馬が降雪の影響で[[2月11日]]に延期となったため、佐賀の[[鮫島克也]]に乗り替わることとなり結果は、9着だった。その後5か月の休養を挟んで出走した米子ステークスは10着、続く関越ステークスは9着、さらに[[サマーチャンピオン]]は8着だった。その後4か月の休養を挟んで出走したベテルギウスステークスの13着で引退した。|date=2015年6月}}
 
== 種牡馬時代 ==
{{要出典範囲|[[2009年]]から北海道[[日高町 (北海道)|日高町]]の[[ブリーダーズ・スタリオン・ステーション]]で[[種牡馬]]入り。初年度は53頭に種付けした。[[が、年々頭数を減らし、2013年]]2月[[福山プリンセスカップ]]種付け頭数は3頭まメイライト落ち込んだ<ref name="furusato" />。元々体高170㎝、体重500㎏を超える大型馬だ優勝し産駒引退後は570㎏ほど重賞初制覇。馬体となっているという<ref>{{cite web|dateurl=http://uma-furusato.com/column/detail/_id_23411|title=サイレントディールを訪ねて|publisher=競走馬のふるさと案内所|accessdate=2015年6月-06-08}}</ref>。
 
=== 主な産駒 ===
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{{競走馬血統表
|name = サイレントディール
|mlininf = [[サンデーサイレンス系]]
|ref1 = [http://www.jbis.or.jp/horse/0000701785/pedigree/ 5代血統表] - JBISサーチ、2015年6月6日閲覧
|mlin = [[サンデーサイレンス系]]
|ref2 = {{要出典|date=2015年6月}}
|flin = 母系(ファミリーライン)
|FN = No.9-f
|ref3 = [http://www.jbis.or.jp/horse/0000701785/pedigree/ 5代血統表] - JBISサーチ、2015年6月8日閲覧
|ref3 = {{要出典|date=2015年6月}}
|inbr = Almahmoud 4×5、[[ネイティヴダンサー|Native Dancer]] 5×5
|ref4 = [http://www.jbis.or.jp/horse/0000701785/pedigree/ 5代血統表] - JBISサーチ、2015年6月8日閲覧
|ref4 = {{要出典|date=2015年6月}}
|f = *[[サンデーサイレンス]]<br />Sunday Silence<br />1986 青鹿毛
|m = * フェアリードール<br/>Fairy Doll<br />1991 栗毛
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|}}
 
== <!--脚注・-->出典 ==
{{脚注ヘルプ}}<!--
 
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注}}
 
=== 出典 ===
-->{{Reflist|2}}
 
== 外部リンク ==