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1901年の創業以来、妻の[[相馬黒光]]とともに独創的なパン・食品を作り続けた。[[1904年]]には[[シュークリーム]]をヒントに現在もポピュラーな菓子パンである[[クリームパン]]を考案した。[[1927年]]には現在の[[中華まん]]のもととなる「中華饅頭」を発売。これが現在の中華まんの始まりとも言われている。
 
[[1918年]]に娘が[[インド]]の独立[[運動家]]の[[ラース・ビハーリー・ボース|ラス・ビハリ・ボース]]と[[結婚]]をしたことから、本格的な[[カリー]]の調理を学び、[[1927年]](昭和2年)[[6月12日]]に当時の日本では珍しい純インド式カリーを販売している。本店のカリーのキャッチフレーズ「'''恋と革命の味'''」はここから生まれ、引き継がれている。また中村屋では発売開始日の6月12日を「'''恋と革命のインドカリーの日'''」と定めている。
 
[[フランスパン]]を日本で最初に発売した京都の[[進々堂]]創業者の[[続木斎]]や、[[山﨑製パン]]創業者の[[飯島籐十郎]]も相馬のもとで勤務していた。