「バイユーのタペストリー」の版間の差分
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[[ファイル:Harold bayeux tapestry.png|thumb|right|200px|バイユーのタペストリーに描かれた[[イングランド王国|イングランド]]王[[ハロルド2世 (イングランド王)|ハロルド2世]]]]
'''バイユーのタペストリー'''([[フランス語]]
フランスは[[ノルマンディー]]地方の都市[[バイユー]]にある[[バイユー大聖堂]]
== 作品の技法 ==
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== 変遷 ==
以前はウィリアム1世の王妃[[マティルダ・オブ・フランダース|マティルダ]]が征服を記念して寄進したものとされ、「王妃マティルダのタペストリー」と呼ばれていたが、近年の研究ではウィリアム1世の異父弟であったバイユー司教のオドン(バイユー
その後、[[18世紀]]までタペストリーの存在は忘れ去られており、[[フランス革命]]時には武器箱の覆いに使用されていたのを地元の弁護士が気づき、危うく喪失を免れている。[[1803年]]に[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]が[[パリ]]に持ち帰ったが、これはイギリス侵攻の参考にするためであったという。その後、バイユーに戻されたが、[[第二次世界大戦]]中にはドイツ軍が接収。戦後、フランスに戻り、[[ルーブル美術館]]の地下に保管されていた。現在ではバイユー・タペストリー美術館
== タペストリーに描かれているもの ==<!--直接的と比喩的の両面-->
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=== 勝者の記念物 ===
[[ファイル:Tapestry of bayeux10.jpg|thumb|right|200px|バイユーのタペストリーに描かれた、不吉な火の星出現の様子<br />右上に見えるのが問題の星で、その正体は[[ハレー彗星]]である。ISTI MIRANT STELLA(意:彼らは星を眺めている)の文字が見える。]]<!--「不吉なる火の星」に係る-->
タペストリーに描かれた
タペストリーは最後の2場面が失われており、幕引きの部分を見ることはできない。約6.4m(約7[[ヤード|yd]])はあったとされるこの欠損部分はバイユーのタペストリーを巡る謎の一つとなっているが、歴史的経緯からの推測で、ウィルアム1世の戴冠式の様子が描かれていたに違いないと考えられている<ref>{{cite book|last=Messant|first=Jan|title=Bayeux Tapestry Embroiderers' Story|publisher=Madeira Threads (UK) Ltd|location=Thirsk, UK|date=1999|pages=112|isbn=0951634852 978-0951634851|accessdate=18 March 2009}}</ref>
=== 不吉なる火の星 ===
また、ハロルド2世がイングランド王に即位して間も無い頃に、不吉な「火の星」、すなわち大きな[[彗星]]の出現があったことも描き込まれている。[[1066年]]3月に現れて時の王とその配下たちを怯えさせたこの天体が、近現代の科学で言う[[ハレー彗星]]であったことが[[18世紀]]に判明した
== ギャラリー ==
{{Wide image|Teppich von Bayeux.jpg|20000px|バイユーのタペストリーの、現存する全編}}
{{Commonscat|Bayeux Tapestry}}▼
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
▲{{Commonscat|Bayeux Tapestry}}
* [[1 E1 m]]
* [[ハレー彗星#古代の出現]]
* [[バイユー]] - [[バイユー大聖堂]]
{{DEFAULTSORT:はいゆのたへすとり}}
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