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== 人物 ==
=== 最年少経済企画庁長官 ===
* 既婚者だったが、新進党で同僚となった[[参議院議員]]の[[畑恵]]と交際。[[1999年]]に前妻との離婚が成立したために畑と再婚した。当時ブームとなっていた小説になぞらえて「政界失楽園」と世間を賑わせた<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/8095109/ 「先生ダメ…」実録! 議淫会館で繰り広げられる政界失楽園] - ライブドアニュース 週刊実話
2013年9月24日</ref>。しかし、前妻が地元で長年婦人票の取りまとめを担っていたことから、地元の反発を招き、翌年の衆院選では比例復活もできずに落選した。
* [[1992年]]12月、39歳1ヶ月で[[宮澤内閣_(改造)|宮澤改造内閣]]において[[経済企画庁長官]]に就任し、戦後最年少で初入閣した。1990年代の政界再編では中心的な役割をにない最も将来を嘱望される存在であり、[[1994年]]には米[[タイム (雑誌)|タイム]]誌の「21世紀を動かす世界の100人」に、日本の政治家でただ1人選ばれた。また[[1996年]]に[[文藝春秋_(雑誌)|文藝春秋]]が企画した「現役政治部記者が選ぶ21世紀のリーダー」では、新党さきがけの[[鳩山由紀夫]]に次ぐ2位にランクインし、3位の[[谷垣禎一]]を凌駕している。しかしながら2度にわたる落選が響き、21世紀に入ってそれぞれ首相、[[自由民主党総裁]]の座に就いた両者に船田は大きく後れを取った。殊にかつて鳩船新党を模索した鳩山が自身の落選中に首相に就任したことは[[政治]]人生における最大の痛恨事であった。
 
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* 経世会時代は小沢一郎の側近であったが、その関係は新生党時代に解消した。小沢と連絡がつかなくなり、小沢の関係者に電話をつないでもらったところ、事態を察した小沢が電話口で「馬鹿野郎、何やってんだこの野郎」と復唱させ船田はすべてを悟ったという。
* 一時は天文学者になろうと本気で考えたこともあるほどの星好き。天文への道を選ばなくとも宇宙への興味は捨てられず、双眼鏡・ 望遠鏡での天体観測、星や星雲の写真撮影、さらに宇宙に関する専門誌やSF小説を読みふけったりした<ref name="profile">[http://www.funada.org/ 公式プロフィール]</ref>。
* 既婚者だったが、新進党で同僚となった[[参議院議員]]の[[畑恵]]と交際。[[1999年]]に前妻との離婚が成立したために畑と再婚した。当時ブームとなっていた小説になぞらえて「政界失楽園」と世間を賑わせた<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/8095109/ 「先生ダメ…」実録! 議淫会館で繰り広げられる政界失楽園] - ライブドアニュース 週刊実話 2013年9月24日</ref>。しかし、前妻が地元で長年婦人票の取りまとめを担っていたことから、地元の反発を招き、翌年の衆院選では比例復活もできずに落選した。
 
== 所属団体・議員連盟 ==
* [[日朝国交正常化推進議員連盟]]