「天橋立」の版間の差分

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天橋立は、宮津湾と内海の[[阿蘇海]]を南北に隔て、全長3.6キロメートル及ぶ湾口砂州とされる。形成についての詳細には諸説ある。2万年前に宮津湾が完全[[陸地]]化して後、約7~8千年前に[[氷河期]]が終わって[[海面]]上昇が落ち着くなか当初水中[[堆積]]で発達が始まり、[[縄文時代]]の[[後氷期]]([[完新世]]、約6千年前)に急速に成長し、2〜3千年前に[[地震]]により大量に流出した土砂により海上に姿をみせ、[[有史時代]]に現在の姿にまで成長したとされる<ref>小谷聖史「天の橋立の生い立ち」自費出版 p.45</ref> 。
 
[[砂嘴]]の幅は20メートルから最長170メートルに達し公路となっている。宮津湾の西側沿岸流により[[砂礫]]が[[海流]]によって運ばれ、天橋立西側の[[野田川 (京都府)|野田川]]の流れから成る阿蘇海の海流にぶつかることにより、海中にほぼ真っ直ぐに砂礫が[[堆積]]して形成されたとされている。日本では、外洋に面さない湾内の砂州としては唯一のものであり、白砂青松を具現するかのごとく一帯には約8,000本の[[マツ|松]]林が生え、東側には白い[[砂浜]]が広がる。[[風土記]]([[丹後国風土記]][[逸文]])では、[[イザナギ|伊射奈芸命]](いざなぎのみこと)が天に通うために梯子を作って立てたため「天の橋立」といったが、大神が寝ている間に倒れて現在の姿になったとされる。
 
== 文化的景観 ==