「ベネディクトゥス3世 (ローマ教皇)」の版間の差分

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[[Fileファイル:Benedict III.jpg|thumb|right|ベネディクトゥス3世 (ローマ教皇)]]
'''ベネディクトゥス3世'''(Benedict III、? - [[858年]][[4月17日]])は[[855年]][[9月29日]]から[[858年]][[4月17日]]まで在位した[[ローマ教皇]]。
 
彼は教皇に選ばれる前から、学識と敬虔さにおいて定評があった。彼は人々と[[聖職者]]が最初に選んだハドリアヌスが就任を拒否したことから選びなおされた。とある重要人物の一団は異なった候補者、[[アナスタシウス (対立教皇)|アナスタシウス]]を望んだ。この一団はベネディクトゥスの選挙を認めずアナスタシウスを教皇としてたてた。しかし、世論の声は強くベネディクトゥスの[[聖化]]が受け入れられていった。[[ルートロドヴィ2世 (神聖ローマ皇帝)|ルートヴィヒ2世]]の使節たちはベネディクトゥスにアナスタシウスとその支持者を寛容に扱うように強制した。
分裂は皇帝の教皇に対する支配力を、とくにその選挙での支配力を弱めるのを助けた。
 
ベネディクトゥスは[[ロタール1世]]の息子たち(未来の[[ロタール2世]]と[[ルートロドヴィ2世 (神聖ローマ皇帝)|ルートヴィヒ2世]]とシャルル)の父の死にともなう争いに干渉した。彼は他の出来事にも精力的にかかわり、[[コンスタンディヌーポリ総主教庁|コンスタンティノープル]]にも断固たる姿勢で臨んだ。
 
[[ウェセックス]]の[[エゼルウルフ]]と彼の息子、未来の[[アルフレッド大王]]がベネディクト在位中にローマを訪問している。
[[女教皇ヨハンナ]]の3年間の在位期間が[[レオ4世 (ローマ教皇)|レオ4世]]とベネディクトゥスの間にあったとする主張もある。そうなると彼の在位期間はわずか数ヵ月ということになるが、これは眉唾ものの主張であろう。
 
== 参考資料 ==
[[ブリタニカ百科事典]]の第9版(1875-1889)
 
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