「ビルボードプレイス」の版間の差分

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[[1996年]][[10月23日]]、増築工事を行っていた万代シテイ第二駐車場ビルのB棟が完成、B棟の1~4階の店舗フロアが「ビルボードプレイス」としてオープンした。B棟は施設の内外装全体がビルボード、つまり広告の場となっており、400枚以上の大小様々な広告が芸術的に並ぶ。若者の男女を対象にした[[ファッション]]店が軒を連ね、各店舗には一切シャッターを持たないのが特徴で、開放的な空間となっている。主なテナントは後述するが、1996年のオープン当初は[[ヴァージン・メガストアーズ|ヴァージン・メガストア]](2007年に[[LoveLa万代|ラブラ万代]]へ移転後、2009年1月20日に店舗ブランドをTSUTAYAに転換し、2010年5月9日閉店)、[[T-ZONE]]([[1999年]]7月に同区女池上山へ移転後、[[2001年]]10月に閉店し新潟県から撤退)なども出店していた。
 
ビルボードプレイスの北側、市道を挟んだところには'''万代シテイビルボードプレイス2'''('''BP2''')がある。元々は[[1995年]]12月、セガ(現:後の[[セガゲームス]])が新潟交通から施設を一括賃借して運営するアミューズメント施設「[[ジョイポリス|新潟ジョイポリス]]」としてオープン。オープン当初の1箇月で9万人の入場者を記録するなど盛況だったが、入場者はそれ以降徐々に減少して運営不振に陥った。セガはてこ入れのため[[1998年]][[4月18日]]、[[カナダ]]のインターナショナル・レジャーシステムズ(ILS)を母体とする外資系法人「マジックシティ」に運営を委託し「マジックシティ@新潟ジョイポリス」に改称した。当初はILSの日本進出1号店として注目を集めたものの、程なくして同社のずさんな運営体制が発覚し、業績は悪化の一途をたどった。結局、新潟交通と万代開発はアミューズメント施設としての運営を断念、セガも撤退することが決定した。ジョイポリス跡はBP同様、専門店複合型店舗としてリニューアルすることになり、[[2000年]][[7月14日]]に3階に8スクリーンの[[シネマコンプレックス]]「[[ティ・ジョイ|T・ジョイ新潟万代]]」を先行オープンの後10月にBP2がオープンした。1階エントランス部には[[エフエムラジオ新潟|FM-NIIGATA]]のサテライトスタジオがある他、1・2階には飲食店がある。
 
[[信濃川]]右岸側の[[やすらぎ堤]]からBP2 - BP・第二駐車場ビル - 新潟伊勢丹の間は各2階部分を通じて[[ペデストリアンデッキ]]で連絡している。